【北アフリカ・ヨーロッパの旅】チュニジア・イタリア編~①~

アフリカ

【地中海の歴史、カルタゴから古代ローマ】

これは、2014.08.29.-09.06.の記録です。

旅の目的

北アフリカの中央に位置する、地中海に面した、
人口1000万人、国土面積が北海道2個分のチュニジアに、
紀元前、西地中海を制覇した、カルタゴと言う国の本拠地がありました。

カルタゴは現在のレバノンからのフェニキア人が移民し建国しました。

当時のカルタゴはスペインの一部も支配していました。

バルセロナはカルタゴが作った町と言われています。

古代ローマとの覇権争いを演じ、最後はローマにせん滅、占領されてしまいます。

古代ローマとの戦いで、名をはせたカルタゴ軍の指導者がハンニバルでした。

ハンニバルは象を兵器とし、スペインを出発し、ローマに迫り、ローマを大いに苦しめました。

「ハンニバル」と言う名は、欧米映画では悪者の名前となっていますが、チュニジアでは英雄です。

戦いに勝ったローマはその後、ローマ帝国として地中海に君臨します。

チュニジアにもローマ遺跡がのこっています。

中世のチュニジアでは、アフリカ最古のモスクが建設され、
それはエルサレムに次ぐ、イスラム教第四の聖地になっています。

近年、フランスから独立し、現在、第二言語はフランス語です。

そして、チュニジアの一部は荒涼としたサハラ砂漠であり、スターウォーズのロケ地でした。

今回は、カルタゴ、古代ローマをたどる旅です。

旅の順路

羽田から、中東ドーハ経由でチュニジアの首都、チュニスに向かいます。

チュニジアにはカルタゴの遺跡(チュニス)に加え、
古代ローマ遺跡(ドゥッガ)があり、アフリカ最古のモスク(ケロアン)、
イスラム時代の旧市街(スース)があります。

その後、イタリアに移動し、ナポリ、ポンペイ、バチカン、ローマを順路としました。

ローマ、ナポリは民泊でした。

チュニジア・チュニス

午前1時、羽田発ドーハ行きのカタール航空のフライト。

ドーハ着は、現地時間早朝の5時30分です。

有名ブランド店の並ぶ、ドーハ空港。チュニス行きの、
9時のカタール航空のフライトの乗客の日本人は私一人でした。

機内で昼食がでました。

イスラム教国のフライトで食事を気になりましたが、おいしくいただきました。

タクシーでホテルへ

13時15分、チュニス空港に到着しました。

インターネットで日本語を話せるガイドを予約しました。

待つこと30分、ガイドは現れませんでした。

電話をしましたが、繋がりません。

タクシーで行くことにしました。

タクシー乗り場に向かう。

途中で何回か、タクシーと声を掛けられる。

これは無視。

タクシー乗り場で構えている白いタクシーの運転手から
40TD(チュニジアの通貨、チュニジアンデナール、約2400円)と言う。

行き先も言っていないのに。

「高い」というと、領収書があると言う。これが殺し文句らしい。

一端、空港に戻ることにした。その途中、別のタクシー運転手が声を掛けてきた。

30TDと言います。

「高い」と言うと20TDと言う。

1200円か。OKした。

しかし、ここからが物語の始まり。

このドライバーのタクシーは空港のはずれにあった。

そして、発車する前にその車のルーフにタクシーと書いてあるボックスを置きます。

だんだん怪しくなります。

車の中でドライバーは、自分は正式なタクシードライバーであり、
領収書を出すこともできるし、料金メーターをつけていると説明します。

片言英語で、どこから来た。日本はいい国だなどと話します。

しかし、メーターの回りが、不規則で、とてつもなく早い。

ここで予感した。

このタクシーはぼったくりだ。

ホテルに着くと、メーターは30TD。

ドライバーはメーターを指さした。

おいおい。

そこで、「お前は20TD」と言ったじゃないかと言う。

しかし、ドライバーもメーターを指す。

これが数回続く。仕方がなく、25TDでどうかと言う。

ドライバーはOKした。

空港のATMからクレジットカードで得た通貨は40TD札。

40TDをドライバーに差し出す。おつりは15TD。

ドライバーはお釣りとして、コインを差し出した。

10数枚のコインである。何かおかしい。

コインを数えろとドライバーに行った。

そうすると、ドライバーはバックから10TDを取り出し、
差し出したコインから数枚を選んだ。

最初に出した、お釣りのコインは10TDにもならなかったようだ。

数100円の攻防です。

このドライバーはすごみもなく、交渉?も上手ではありませんでした。

こちらの「まっ、いいか」がぼったくられるもとになります。

20TDで押し通してよかったかも。

出国時にホテルから空港までタクシーを利用したのですが、
その時の料金は4TDでした。料金メーターもついていました。

でも、ホテルで頼むと10TDです。

バルドー国立博物館

ホテルにチェックイン後、再びタクシーに乗って博物館に行きました。

このタクシーのメーターは正常でした。

10分ほどで、博物館に着きました。

料金は3TD(240円)でした。

正確な料金は2.8TDで、お釣りはチップです。

訪問8ケ月後、ここでテロがありました。

イスラム武装組織の2人が、参観者を人質にとり、
最終的に日本人3人を含む20名以上のお亡くなりになりました。

モスリムには危害をくわえなかったらしい。

博物館にはカルタゴからイスラムまでが展示されています。

見学をしていると、館員らしき人物(実際館員でした)がドアノブに手をかけながら、
こちらを見て、手招きしています。

数人の見学者が入っていきました。

釣られて、入りました。館員は数人に増えました。

いくつかの部屋を案内されました。

写真を撮っていると、お前の写真を撮るからとのサービスまでありました。

一通り見終わりました。

最後の部屋を出ました。館員はドアを閉めました。

ここで、チップの要求です。

そうか。そうだったのか。数TDを渡しました。 

そうすると、館員は両手を前に組み、逮捕される真似をして、片言英語です。

今、公開されていない展示物を見せた。

危ないことをして、この程度のチップと。

さらに数TDを渡しました。

合計5TD(300円)でした。

ここは国立です。

さっきの館員が、別の見学者と一緒に展示物を見ていました。

またですか。この見学者からもチップ。

帰り道

博物館を後に、ホテルへ路面電車(現地ではメトロと言います)で向かいました。

ホテルにチェックイン後、
ホテルの最寄り駅名をアラビア語でメモしてもらっていたので、これが頼りです。

運賃は均一料金で数10円。丁度、帰りのラッシュでした。

日本の通勤時電車と同じです。

車内では老人にはすぐ席を譲ります。

日本よりも多く見かけました。

そして、服装から観光慣れしている中年婦人(地元の人ではありません)が立っていました。

手すりに掴っていましたが、その手が地元の中年婦人の肩に少し接触しました。

すると地元のイスラム姿の中年婦人は、観光客の手を差し、不愉快な顔です。

でも、この観光客は、満員電車で、やっとの思いで手すりを持っていたのに。

観光客がその手を少しずらしました。

また、地元中年女性の肩に触りました。

また、同様に、観光客に手を差し、不愉快顔。

その後、観光客は手すりから手を放し、電車の揺れに耐えていました。

自分のことしか考えていません。

電車の駅の数を数えて、駅を降りました。

電車内は到着駅のアナウンスがありません。

旅の時は駅名も一応覚えますが、何番目の駅と記憶しておく。

これが確実です。

ここはチュニジア、基本アラブ文字です。

ここからホテルまで時間がかかりました。

道を聞くには20後半から30歳代がよいのが通常です。

英語を話せる確率が高いからです。

最初に20歳後半の男性に道を聞きました(実はここからホテルまで3分程度だったのですが)。

英語は通じず、結局、何もわからず。

別れ際に、肩を叩かれました。がんばれよ、です。

大きな道路に差し掛かると、武装した軍人が数人いました(治安維持のためです)。

その中で偉そうな軍人に、ホテル名と住所を差出、聞きました。

この通りの先とのこと。治安軍人の言うことで間違いないと思いました。

通りを進みました。何かホテル付近の風景と違います。

そこで、少し身なりのいい中年男性に聞きました。

軍人と同じことを言いました。

そうか。

じゃ、と言うことで、もう少し通りを進みました。

でも、風景が違います。その通りを少し戻り、横道に入りました。

そこにファーストフード見たいな店がありました。

ここで聞きました。

その店員(オーナーのようです)は分かったと言いました。

店員は店から出てきて、途中まで同行してくれました。

店員はフランス人で、ここで仕事をしているとのこと。

数分一緒に歩いた後、ホテルの看板を指さし、あれだよ。

このホテル、少し路地に入った、大きなホテルの横にあり、遠目からは見えません。

下車駅から5分で済むところを30分でした。

でも、ホテル付近の道は覚えました。

下の写真は泊ったホテルです。

つづく

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