【北アフリカの旅】アルジェリア~➃~

アフリカ

ティムガットへ:

今日は、古代ローマ遺跡である、ティムガットに行きます。
ホテルで朝食をとり、出発します。

ホテルのフロントに、ティムガットまでの車チャーター代の表示があり、これを利用しました。

ティムガットはアフリカのポンペイと言われています。最近まで、砂に埋もれていたそうです。
イタリアのポンペイは火山で埋没しましたが、これは近くの砂漠の影響で埋没したようです。
規模も大きく、ポンペイ以上の迫力を感じました。

道路沿いの果物屋さん

片道、2~3時間かかります。車の運転手は30代の若い男性です。
現地到着まで、2度ほど道を聞きました。車の中から、大声で聞きます。

アラビア語の標識と遺跡を表す模造物が見えて、遺跡に近いことを感じます。

ティムガット到着:

遺跡の入り口に到着しました。ドライバーはここで待機です。

入場料を払い、入ります。

ティムガット入場:

入り口には当時の人々の石のくり抜きがあります。

そして、現れました。広大な面積に、崩れかけた建築物、柱と大きな門に続く石畳の道。
数万人が居住したと言います。

巨大ゲート:

巨大ゲートを目指し、古代ローマの道を行きます。

遺跡はほとんど整備はされていません。
しかし、これが迫力を増加させているように感じました。

道は大きな門に続きます。観光客はいますが、外国人は私一人。
まさに古代ローマ遺跡を象徴する門です。

門に到着すると、高校生らしき青年に写真を一緒に撮らせてくれと頼まれました。
女性を含む彼ら全員ではありませんが、携帯を持っています。
順番に彼らひとり一人と携帯で写真撮影です。

名前を聞かれたので答えました。この国ではあいさつ代わりに名前を聞いてきます。

劇場跡:

更に進むと、そこには劇場がありました。

ギリシャ、ローマ遺跡は劇場が中心となっています。

これらの劇場の舞台の中央は観客席に対して音が共鳴します。
つまり、舞台からの声が観客席によく通るように設計されています。
マイクのない時代の工夫です。

ここから、古代都市を全貌できます。大きな門と沢山の林立する石柱は圧巻です。

アルジェリア人に囲まれて:

目の前に広がる古代ローマ都市に感激していると、観光できている地元の人からの写真撮影の依頼です。

彼らの携帯撮影に応じていると、人がどんどん集まってきました。そして、質問攻めです。
彼らの中に英語を話せる人がいて、この人が通訳です。
アルジェリアの第一外国語はフランス語なので、フランス語であれば通訳は要らなかったかも知れません。

宗教は何か?
日本の宗教の説明は難しいです。
私は、日本人の宗教は仏教と神道の2つが同居していることと考えています。
ので、2つの同居を説明しましたが、いずれの外国人もこのことを理解することは難しいと思っています。

礼拝の回数は?
イスラム教徒は一日数回の礼拝をしますが、年に1回程度のお参りも理解が難しいと思いました。

彼らは宗教に関心があるようです。

私は観客席にいたので、地元の人を見下ろすことになり、舞台に立ったような気分です。

中国音楽で踊るコブラ:

その中の一人が携帯の動画を私に見せてくれました。
バックミュージックのある、コブラが踊っている動画でした。

そして、このバックミュージックはどこの国の音楽か、質問がありました。
それは、なんと、中国音楽でした。
コブラと言えば、日本では笛なのに、国が変われは変わるものです。

コーランを受ける:

その後、これを聞いてくれと言います。何やら歌いだしました。
それは、コーランでした。私への神の加護をお祈りしてくれました。

そして、我々は幸せだ。アッラーが見守ってくれると言います。
彼らは幸福のようです。

帰り道、無造作に置かれた石柱の一部がありました。

無数の石柱全部が古代ローマです。

見学を終了し、車に戻ろうとしました。

綿菓子:

その時、「アサキナ」と言う声が聞こえました。チョットなまっていますが、私の名前です。
さっき、写真撮影をした、赤シャツ青年が私を呼んでいました。
赤シャツ青年は私のところに駆け寄ると、手に持っていた綿菓子を私に差し出しました。
遺跡入口には何軒かの商店が並んでいましたが、その中に綿菓子売りもありました。

そこで買ったようです。

何か感激しました。

その目の輝きを見て、この青年は、将来この国を支える人物になるような気がしました。

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