旅の目的:
2014.11.09-11.24.
ギリシャは地中海で初めて文明を起こしました。
その後、地中海の覇権はレバノンのフェニキア人(カルタゴ)でした。そして、古代ローマは、カルタゴとの覇権争いに勝利しました。
ローマ帝国は、東西ローマ帝国に分裂し、東ローマ帝国はイスラム教国に滅ぼされました。
レバノンには中東3大遺跡(ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡)の1つの古代ローマ遺跡バールベックがあります。
トルコのイスタンブールは東ローマ帝国、その後のオスマントルコの首都でした。
ギリシャにはクレタ文明、ミケーネ文明など古代ギリシャの遺跡が多数残っています。
今回はこれら3か国を巡る旅です。
滞在都市は、ベイルート、イスタンブール、イズミール、アテネ、船中泊でクレタ島です。
旅の準備:
レバノンは、西が地中海、北、東がシリアと南がイスラエルと接し、政情不安のイメージが付きまといます。今回訪問予定のバールベックはシリア国境に近く、外務省の渡航危険度は渡航延期(渡航は止めてください)です。レバノンのシリア国境付近の一部は退避勧告でした。
以前、イスラエル占領地域のベツレヘム(パレスチナ)に行った時も同様の危険度でした。
バールベックにほんとうに行けるか、インターネットで探しました。バールベックに行ける現地ツアーを発見しました。
が、このサイトは同時にシリアのパルミラ(現在、イスラム国の支配地域)のツアーも掲載していました。かなり古い情報のようです。
やっと、レバノン政府の観光サイトを見つけました。このサイトの添付資料はモノクロでしたが、空港から市内までのタクシー料金が載っているなど、もっともらしい内容でした。そこに現地旅行社も載っていました。
そこで、現地旅行社にメールを送り、バールベックのツアーを予約しました。しかし、このツアーが実際に運行されるかは未定とのことです。運行しない理由って、何だろう。
今回はANAに勤めている娘(CA)の親割引を使うことにしました。数万円でヨーロッパ往復できます。但し、乗る時に空席があることが条件です。満席の場合は乗ることができません。通常のお客さん優先です。当然です。
従って、いくつかのルートを予約しました。予約時に料金を払いますが、乗らない場合は返金されます。
レバノンのベイルートへの直行便はありません。今回は、フランクフルト経由とパリ経由を予約しました。結局、フランクフルト経由になりました。
帰りのアテネ-フランクフルトはちょっと危なかった。チェックイン時に座席券はもらえず、搭乗口横のカウンターで順番待ちでした。運よく、乗ることができました。
レバノン、トルコとギリシャ間は、別途の通常インターネット航空券予約です。HIS,JTBなどの日本の航空券予約サイトでは、日本出発が前提ですので、外国間のみの予約はできません。世界的な航空券予約サイト(日本語)は外国間のみの予約ができます。
最近は、航空券予約サイトを比較して、そのサイトにつながる、予約サイトがあります。このサイトは、いくつかの航空券予約サイトの料金を提示します。気に入った、航空券予約サイトに入っていくことになります。エクスペディアを利用しました。
渡航前に、当初計画を変更しました。そこで、フライトを変更する必要がありました。予約したインターネットでフライトを変更しようとすると、ではできませんでした(変更ボタンはあるのですが、このボタンを押すと、元にページに戻ってしまいます)。
そこで、電話することにしました。東京の番号の03から始まる電話番号です。電話をすると、しばらくしてから、通話できましたが、言語が英語でした。日本語は話せないと言いました。恐らく、東京の電話番号を経由して、どこか外国につながっている。アメリカ発音でなかったので、アジアのどこからと思います。多分、マニラ、シンガポール・・。
宿もインターネット予約です。レバノンのベイルート、トルコのイスタンブール、ギリシャのアテネのホテルを予約しました。ホテル予約も口コミを確認するので、結構時間が掛かります。欧米日の口コミを主に見ます。でも、口コミを鵜呑みにはできません。今回は、レバノン、ギリシャはまずまずでしたが、トルコははずれでした。
空港から市内への交通手段もインターネットで確認しました。イスタンブールとアテネは公共交通手段を確認できました。レバノンのベイルートはタクシーのみが交通手段です。タクシーとなると料金は交渉事です。
これで、旅の準備ができました。
レバノン・ベイルートへ:
まずは、レバノンに向かいました。
レバノンはイスラエルと対峙し、戦闘的な時期がありました。現在も戦闘的な集団であるヒズボラの拠点でもあります。
レバノンはイスラム教のスンニ派、シーア派に加えて、キリスト教が勢力を保持し、3者の戦闘を含んだ駆け引きと、周辺国の思惑が絡み、複雑な動きをします。
フランクフルト経由のルフトハンザです。
日本からフランクフルトに到着後、携行したPCの電源コードがないことに気づきました。どこで落としたんだろう。フランクフルト到着前に、手荷物をまとめ、その手荷物を座席に下に置いたときに、音がしたのを思い出しました。その時は「あれ」と思いましたが、思っただけで、確認しませんでした。
フランクフルト到着後、航空カウンターに聞きましたが、機内にそのような落し物はなかったとこことでした。
PCの電源コードは重要です。PCを使えないとなると、情報を入手できなくなります。スマホもありますが、使用後の料金が心配です。
翌日、PC電源コード入手のために半日費やしました。でも、これも面白かった。ベイルートのある側面を体験できました。
ベイルート到着:
レバノンの首都ベイルートに無事到着しました。フライトはルフトハンザだったせいか、普段の旅と変わりありません。
ベイルート空港はきれいでした。レバノンの入国審査は、パスポートに、以前旅行したイスラエルの入国スタンプもなかったのでスムーズでした。話によると、イスラエルのスタンプがあると、レバノンには入国できないそうです。
空港のATMでレバノン通貨を引き出しました。換算レートを間違え、少し多めの金額を手にしました。ボケていたのか、引き出し後、ATMにレシートを忘れましたが、30代くらいの女性が私を追いかけてきて、レシートを渡してくれました。こんなことでも、ちょっと安心します。
後から考えるとレバノン通貨を持たなくてもよいことが分かりました。
レバノンでは米国ドルがレバノン通貨とともに一般的に使用されていました。その辺のスーパーでも米国ドルを使用できます。驚きました。国の通貨管理はどのようになっているのでしょうか。
さて、市内までタクシーで30分程度です。バスなどの公共機関はありません。ここでタクシー料金の交渉が待っています。入国すると、早速、タクシードライバーらしき者がすり寄ってきました。40米国ドルです。旅行前に入手した、レバノン観光資料の2倍です。
高いと、言うと、これが通常料金だと言いました。そこで、再び、空港ビルに戻りました。このタクシードライバーらしき者もついてきました。空港ビル内にいた、係員らしき人に市内までのタクシー料金を聞きました。その時、このタクシードライバーは20米国ドルでいいといてきました。交渉成立です。
タクシーに案内されましたが、ドライバーは若者でした。ホテルの名前を聞いてきました。「えっ。」さっきの交渉相手は何者だったのでしょう。
ホテルに向かいました。ホテルの名前は、「ホワイトハウス」です。米国ドルの使用に加えて、ホワイトハウス、これ米国と対峙しているイスラムの国・・。
夜の9時過ぎでしたので、タクシーの中から見る、ベイルートの様子は分かりませんでしたが、明かりは何事もないような様子でした。
タクシーがホテルに着き、料金を支払うと、そのドライバーはチップを要求してきました。最初の値段交渉に加えて、チップの要求かぁ。無視しました。
ホテルは数10室の中級ホテルでした。ロビーにデスクがあり、そこに、フランス元大統領であった、サルコジ氏に似た人が座っていました。ネクタイをしていました。
ちょっと格好いい。アラブ系とは思えませんでした。部屋は格上げしてくれたスイーツになりました。
明日は、レバノン訪問の主目的である、バールベックの予定ですが、この現地ツアーが確定していません。
そこで、ツアーの話をすると、フロントはツァー会社に電話してくれました。とても親切でした。
明日のツアーはキャンセルになったとのことでした。キャンセル理由が分からなかったので、フロントに聞きました。フロントは近くで誘拐でもあったのかもしれないと言いました。
それ、冗談のように聞こえません。
日本外務省公表のベイルートのテロマップがあり、フロントに危険地域の地図を見せました。
ノーコメントで、欧米人と特有の肩をすくめるジェスチャーです。
現地人はあまり気にしていないようでした。
ホテルの部屋はよかったです。スイーツと言い難いとことはありましたが、部屋のグレードアップに感謝です。調理をすることはなかったのですが、調理もできます。
液晶テレビが、時々、電源が切れ、見えなくなりました。ホテルの係員を呼ぶと、テレビ画面を動かし、正常になりました。接触が悪いのでしょう。
イスラム教の国のホテルの部屋のトイレは特有です。便器の横にシャワーがあります。
数10年前にイランに行った時のガイドブックによると、イスラムの人は、大便をした後の始末はホースからの水で、それを左手で行うそうです。現在は、それがシャワーになっています。ウォシュレットの元祖です。
ウォシュレットのアイデアは、イスラム教ですよ。
ベイルート市内:
ホテルはベイルートの繁華街の1つである、ハムラ通りの近くでした。ハムラ通りには、H&M、スーターバックス、ダンキンドーナッツなどがあり、驚きでした。これまで訪問したイスラム教国とは大違いです。
レバノンは、紀元前から商業国として生計を立ててきた、そのことが今でも続いているような気がしました。
でも、ハムラ通りを一歩入ると、ちょっと大丈夫かなと言う感じになります。ホテルはハムラ通りからちょっと入ったところにありました。
落書きです。
「welcome to HAMURA」
本当にアラブの国に来たのか、と思います。
明日はツアーがなくなり、PCの電源コード入手日となりました。
これもフロントに聞くと、大丈夫、心配するなとのことでした。しかし、半日の旅となりました。
PC電源コードの入手:
今日はPC電源コードの入手日です。ホテルのフロントに聞くと、近くのハムラ通りにある店から入手できるだろうとのこと。
ハムラ通りには、スマホショップがいくつかありました。
その1つに入ると、ここはスマホ関連しか置いていませんでした。PC電源コードはどこに売っているのかと聞くと、ある店を紹介してくれました。
その店は、近くにありました。その店員は、PCに詳しく、持参したPCを見ながら、電源コードの容量を確認しました。この店にはありませんでした。別の店を紹介してくれました。その店はチェーン店らしく、少し大きなビルの中にありました。でもここにはありませんでした。店員はPCのことに詳しくないようでした。
そこで、先ほどの店に再度行きました。近くの店になかったことを説明すると、ベイルート最大の電気店を紹介してくれました。
その店の名前を紙に書いてもらい、自分の持っているベイルートの地図で場所とタクシー料金を確認しました。その店は、自分の持っている地図の少し外側でした(地図には載っていません)。とても親切な店員さんでした。
流しタクシーは多いです。その1つを捕まえ、行き先の紙を見せて乗車しました。タクシーは海岸線を15分程度走り、大きな交差点に着きました。そこはベイルートの旧市街で近代的なハムラ通りとは対照的でした。
タクシードライバーは、電気屋は近くあるのでここで降りて欲しいと言いました。交差点は一部一方通行で、その電気屋には行きづらいとのことです。
タクシー料金は、現地通貨かドルか、よくわかりません。現地通貨単位が1ドルと同じ言い方をしているようです。でも、それを換算すると、あいません。
一応、現地通貨で支払いを済ませました。このほうが割安です。
タクシーを降りて、2度ほど道を聞き、その電気屋に着きました。確かに、電気の大型量販店のようでした。入り口には、警備員がいました。手持ちのバックは店内に持ち込めず、預けます。バックからPCを取り出し、バックを預けました。
店内は多くの家電商品が展示されていました。その多くは韓国製でした。
店員に聞くと、ある場所を案内してくれました。そこでは、PCの修理をしていました。店員にPCを差出ました。店員はPCを確認後、電話をしました。電源コードの在庫はなく、数日で入荷するとのことでした。でも、数日待てません。諦めることにしました。
この店に来る途中、小さな電気屋があったのを思い出しました。携帯のみのアップルショップ、PC専門店もありました。
ここは、ベイルートの秋葉原と言ったところでしょう。
そこで、1軒、1軒聞くことにしました。2つ目の店にありました。
当然ですが、差し込みが、日本とは異なり、巨大で、中国製でした。
これでPCへの充電はできました。しかし、これで充電しながら、PCを使う事ができませんでした。
PC操作のパッドがえらく敏感になり、パッドをちょっと触っただけで、ポインターがドーンと動いてしまいます。
PCを使う時は、電源を抜いてから使用しました。でも、電源コードを入手できてよかった。
ムハンマド アミーン モスク:
この大型電気店は、ベイルート最大のモスク(グランドモスク)の近くにあったので、次はこのモスクに向かいました。
移動は徒歩では少し時間が掛かりそうなので、タクシーを使いました。うろうろしていると、タクシーの営業所がありました。ここでタクシーを拾いました。モスクの近くで降りました。
大きなモスクでした。入っていいのか、入口で躊躇していました。その時、スーツの若い男性が来たので、中に入ることができるか聞きました。OKです。早速中に入りました。
暑い屋外と比べ、中は涼しく、快適でした。入ってすぐ、下駄箱があり、ここに靴を入れます。
イスラム教徒は礼拝の前に、身を清めます。
トイレに男子用小便器がありました。
「アレッ」
小便器内にパイプがありました。用足し後、これを使って洗うようです。
礼拝時間の表示板がありました。
礼拝時間でなかったせいか、ほとんど人はいませんでした。
祭壇がありました。これは、メッカの方角を示します。
ムスリムはメッカの方角に向かって礼拝します。
モスクは、天井絵が精密で素晴らしい。
このモスクの隣には、放置されたような古代ローマの遺跡がありました。何の修復も行われていないようですが、国家財政が厳しいようです。
さて次は、どこに行こうか?
旅行代理社に入る:
モスクの近くに旅行代理社がありました。ここで観光地の話を聞くことにしました。そのオフィスは日本のそれとは変わりません。清潔感があり、整然としていました。
最初に話した女性は経験が浅いようで、質問をしていくと、経験のある、30歳手前の女性に代わりました。イスラムの国であっても、この旅行代理店は女性社員が多く、イスラム特有のヒジャブを身に着けていません。日本と何ら、変わらない服装です。
ベイルート市内の8カ所の観光名所のメモしてもらい、更に、立派なガイドブックを頂きました。このような場面でも、現地の人と話すことは面白いです。
明日は、現地ツアーに行くと話すと、この会社のツアーはもっと安価で行けると、連絡先である、名刺を渡してくれました。40分程度、ここにいました。
中東のパリ;ショッピングモールなど
近くに、キリスト教会、ブランドショップなどがある、近代的な一角があります。そこに向かうことにしました。ここもベイルートの観光名所です。
ベイルートは第二次世界大戦後、自由経済を取り入れ、発展し、「中東のパリ」と言われました。その後の内乱などで、以前のような繁栄はありませんが、その面影を残している地域がここです。
迷彩色の兵隊が街を監視しています。
ブランドショップのあるショッピングモールがありました。
この一角にスーパーマーケットがありました。野菜もありましたが、高級品のようです。
ここに寿司の宣伝ポスターがありました。この写真を撮った瞬間、肩をたたかれました。
店内、写真撮影禁止です。
でも、撮った写真の消去は要求されませんでした。
少し、お腹もすいたし、お寿司を食べることにしました。2貫で1500円程度。とても高級品です。でも、美味しかった。
キリスト教会
そして、教会がありました。教会は大きくはありませんが、教会内の雰囲気は欧州のそれと同じです。
レバノンのキリスト教は東方教会の一派であり、ローマカトリックなどの西方教会とは異なります。
キリスト教徒は人口の3割を占める勢力であり、しばしば、イスラム教徒と摩擦を起こしていると言います。
ここにも古代ローマの遺跡がありました。これは浴場跡とのことです。
乗り合いタクシー
帰りは、乗り合いタクシーを利用しました。タクシーを利用する人を見ていると、乗り方が分かります。目的地方向に向かうタクシーに手で合図し、タクシー止め、目的地を言います。ドライバーがOKすれば、そこに行くと言うことです。
ホテルはハムラ通りの近くだったので、タクシーを止めて、「ハムラ、ハムラ」と言いました。ハムラ方面行きのタクシーに乗りました。タクシーはその後、3人の若い女性を拾いました。前座席に一人、後ろ座席に3人。これで満席です。
途中、渋滞となり、タクシー運ちゃんは頭を抱え、かなり疲れているようでした。
ハムラ通りに差し掛かり、タクシーが止まりました。運転手が料金を言いました。これでも十分安いのですが、乗り合わせた客が何かを言いました。料金が高いと言ったようです。すると、その半額になりました。
これが、地元住民が使用した場合の料金なのでしょう。
私だけ、降りて、タクシーは行き去りました。
夕食はハムラ通りのイタリアンレストランでパスタを食べました。見た目はよいのですが、美味しくありませんでした。
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