【北アフリカ・ヨーロッパの旅】チュニジア・イタリア編~③~

アフリカ

カルタゴとローマ遺跡:

古代ローマの前、レバノンのフェニキア人が海洋国家カルタゴを建設し、地中海の覇権を握りました。その拠点が現在のチュニスです。

フェニキア人を迎えた、原住民のベルベル人は、牛一頭の皮で覆える土地しか与えないと言います。

するとフェニキア人の女王は牛の皮を細長く裂いて、広大な土地を得たと言う伝説があります。

古代ローマはカルタゴと争い、チュニスに攻め込み、カルタゴをせん滅しました。

ガイドが私の泊っているホテルに来ました。

大通りで、タクシーを止め、カルタゴ遺跡、シディ・ブ・サイドなどの観光のため、半日交渉です。

交渉がまとまり、出発です。海岸線を走ります。

黄色いタクシーに乗りました。到着し、タクシーは待機です。

 面影は全くありませんが、ここからカルタゴの軍船が古代ローマと戦うために出航しました。

近くにカルタゴの遺跡があります。ここは、子供を生贄にした後と言われています。

が、その後の古代ローマがカルタゴの残虐性をイメージ付けるための作り話と言う説もあります。

丘に向かいます。ここにカルタゴの要塞があったそうです。

こちらはローマ遺跡です。

後日、行ったドゥッガ遺跡もローマ遺跡ですが、チュニジアにはいくつかのローマ遺跡があります。

カルタゴ博物館によりました。

シディ・ブ・サイド:

 遺跡の近くに、シディ・ブ・サイドというところがあります。ここの建物の壁は白、窓、入り口は青です。フランス人の建物が起源らしいです。

20世紀初め、景観保護令が施工され、青と白が強制されたそうです。

近くに海水浴場がありました。

 眼下に地中海が広がります。

松の実入りのミントティーで休憩しました。

ドゥッガ(ローマ遺跡):

ここはチュニジア(当時、カルタゴ)がローマに占領された後、ローマ帝国が建造物を作り、それが世界遺産となっています。

もともと、この地はベルベル人のヌミディア王国(アニメに出てきそうな名前)の首都でした。

どのように行くのか。インターネットで調べました。

公的交通機関で目的地まで行くことができないようです。

まずバスで行き、そのバス停から乗り合いタクシー(満員になると発車する)で行っている人がいました。

所要時間も確認できました。バス会社が分かったので、時刻表を手に入れることができました。

まずバスセンターに行きます。このバスセンターは遠方各地への発着地です。

バスセンターまではタクシーで行きました。結構大きなバスセンターでした。

イスラム教国らしく、バスセンターにはコーランらしき本の売店がありました。とても立派な本でした。

ここは乗り合いタクシーの発着所でもあり、乗り合いタクシーに近づくと行く先を言っているようでした。

切符売り場で、ホテルで書いてもらった、アラビア語のバス停名を見せて、切符を買いました。

バスは意外と新しかった。後で分かったのですが、バス会社はいくつかあり、最初に乗ったバスは国営でした。国営バスは新しく、民間バスは古かったです。

バスから水道橋(ローマ遺跡?)が見えました。

出発です。しばらく行くと、そこは半砂漠で、ところどころにオリーブ畑がありました。 

出発して、1.5時間、時刻表によるとそろそろバス停かなと思っていました。

しかしバスは止まる気配を見せません。そう言えば、バス停まで2.5時間かかるとのインターネット情報があり、もう少し待つことにしました。

2時間を経過し、まだ止まる気配を見せません。

そこで、運転手にバス停までの時間を聞きました。

運転手は笑いながら、もう過ぎたと言いました。

えっ。

運転手は更に、でも「ノー プロブレム」と続け、同じ会社の別便に頼むと言ってくれました。

有難いことです。職業柄なのか、英語を話せます。

途中、舗装していない道路に差しかかると、「これはデジタルロードだ(道路が凸凹)。日本のためにある。車が壊れたら日本から買わなければならないから(道路の凸凹で車が傷んで)。」

すぐ、乗せてもらえるバスが来るかと思ったら、約1時間も走り続け、終点近くに来ました。

そこで、反対方向に向かうバスと出会いました。

このバスに乗せてもらいました。行く先は、ドゥッガと伝えました。 やっと、バス停に着きました。ここはまさにドゥッガのバス停でした。当初、予定していたバス停ではありません。でも、ここが遺跡に最も近いバス停なんだ。初めから、ここを目指せばよかった。

 で、タクシーはどこ? 

バスの運転手とずっと話していた男性が、何人かがお茶を飲んでいる建物を指してくれました。

建物に向かいました。タクシーと言うと、店のマスターらしき男が店の前の男たちに何やら言いました。

すると、その中の一人が立ち上がり、車に向かいました。

この車に乗りましたが、車の色も違うし(この国のタクシーは黄色)、タクシー表示もなく、これは公式タクシーではないようです。

ほんの5分程度で遺跡に着きました。こんなに近いのか。

遺跡の入り口には入場券売り場がありました。そして、その横に一人の男が座っていました。この男は係員ではありません。言葉は通じませんでしたが、今、係員はいない。しばらくしたら来るとのことでした。

そこで、近くにあったレストランに入り、食事をすることにしました。

庭があり、立派なレストランでした。客は若いカップル1組のみです。メニューは英語もありました。スパゲッティーを注文しましたが、なかなか出てきません。

若いカップルは食事の最中、料理は私の分だけのはず。

厨房が少し見えるのですが、中年女性が料理しているようでした。30分後、スパゲッティーがやっと出てきました。

味は美味しいと言えるものではありませんでした。1/4ほど食べて、終了です。

遺跡の入り口に行きました。係員から入場券を買いました。

ここは、古代ローマ前はベルベル人国家のヌミディア王国の中心地でした。これはヌミディア王国王子のお墓です。

草原地帯にこのような立派な遺跡。しかし、入場者は私一人。とでも暑く、気温は40度を超えています。

さて、帰りです。遺跡入口に戻りました。まだ、あの係員ではない男もいました。タクシーを呼びたいと話すと、係員は自分の携帯で連絡してくれました。少ししたらバスがあるので丁度いいと言いました。よかった。でも、実際は違いました。

この係員は椅子を持ってきました。

これに掛けて。

有難うございます。

係員でない男も一緒になり、会話が始まりました。

どこから来たのか。

どうやって来たのか。

お前の時計は時刻が2つ表示されているが、1つは日本時間か。

ここへの観光客は春が多いとか。

自分と係員の会話を係員が係員でない男に伝えていました。

時々、係員ではない男と係員の会話がります。

そうか。当初の計画のここまで来るためのルートは、今は使えないことに気が付きました。乗り合いタクシーであるルアージュは満員になると出発します。

今の入場者は私一人。その理由は暑さです。暑いから、観光客は来ないということです。つまり、自分が利用しようと思っていた、ルアージュは来ないということです。観光客が多ければ、行き帰りでルアージュが来るのでしょう。

しばらく時間が過ぎました。

まだ、タクシーは来ません。バス停からここまで、タクシーで5分もかからなかったのに。

係員が携帯で確認してくれました。別のタクシーを頼んだ。

係員の言ったバスの時刻は過ぎました。次のバスにするか。

でも、係員は別にバスの時刻を気にしていません。

しばらくすると、数十頭の羊を引き連れた、年老いた羊飼いが目の前の通りに差し掛かりました。羊の移動です。この羊飼いと係員ではない男が何やら話していました。その後、係員ではない男は近くで休んでいた犬を追い散らし始めました。

この犬は羊の番犬だったのです。でも、木陰でサボっていました。この犬は仕事が好きではないようです。

追い散らしても、少し移動するだけで、またお休みです。係員でない男はしつこく、追い立てました。ようやく、羊の群れの後方をとぼとぼ歩きはじめました。

更に時間が過ぎました。約1時間たちました。歩いていくと、係員に言うと、もう少しで来るから。しばらくして、タクシーが来ました。これはここに来るときに使ったタクシーとは異なり、それより少し大きめの巡回タクシーのようです。

係員は私が帰る街へはバスだけではなく、ルアージュもあるから大丈夫と言ってくれました。係員でない男もタクシーに乗り、途中で降りました。この男、時間つぶしで来ているのでしょうか。係員にしても、この男にしても、私は格好の暇つぶし相手だったのかもしれません。

バス停には当然ごとく、5分もかからずに到着しました。

バス停と言っても、時刻表もなく、日よけらしきものだけです。日差しは強く、日が少し傾いていたので屋根の下は日よけになりません。そして、これの裏手の日陰に入ると通行車両が見えません。

仕方がなく、炎天下、バスを待ちました。

時々、バス、乗り合いタクシーが通り過ぎます。乗り合いタクシーは基本満員のはずだから止まりません。手を上げますが、ほとんど反応がありません。

1時間、その都度手を上げながら待ちました。

やっと、スピードを落とす、バスがありました。行きのバスとは異なり、結構、くたびれたバスでした。

バスには車掌がいました。見かけると満員でしたが、車掌が一番後ろに席を1つ開けてくれました。

やれやれ。料金を払いました。席に着くと、隣は手が震えているご老人でした。

バスが出発し、間もなくすると、このご老人はこちらを向かい、人差し指と親指をこするしぐさをしました。これはお金を示すしぐさです。つまり、お金をくれと言うしぐさです。断りました。

やれやれ、この席で数時間を過ごすのか。その後、ご老人は何かを言いました。すると、近くの人がペットボトル入りの水を渡しました。渡した人は知り合いでもなさそうです。ご老人は震える手にペットボトル持ち、水を飲むのも時間が掛かります。

飲んだ後、また、こちらに向かって、指をこすりました。お断りです。また、少しの間隔を開けて、同じようなことをしましたが、その都度断りました。やっと、あきらめてくれたようです。

バスは休憩所に止まりました。そこには飲料水、軽食を売っている売店がありました。ご老人はバスを降りて、売店に入りました。見ていると、コーラを買い、飲んでいました。ご老人はお金を持っていました。

やっと、ホテルのある街のバスセンターに着きました。やれやれ。タクシーを拾って帰ろうか。通りにタクシーは通るのですが、なかなか止まりません。何人かがタクシーを拾おうと立っています。

若い女性もタクシーを待っていました。その女性の前でタクシーが止まりました。すると、3人の男性が近くから出てきました。若い女性はこれらの男性と一緒に乗り込みました。

えっ。これって、タクシーを拾うための作戦?

やっと、タクシーを拾い、ホテルに戻りました。

近くのレストランでお魚料理の夕食です。

スース:

 次の訪問は、チュニジア第3の都市、スースです。

スースの旧市街は世界遺産であり、イスラム教のアフリカ最大の聖地、ケロアンに行くための拠点でもあります。

スースの起源は、カルタゴのフェニキア人が建設し、その後の古代ローマ、イスラム教、バイキング、スペイン、フランスの支配を経ています。

チュニジア中央駅でスースまでの切符を買いました。

スースまで2.5時間、料金は約800円です。中央駅への途中で落書きを見ました。

駅は人が多いのですが、ヒジャブをしていないイスラム教女性?の姿もありました。

駅にはコーヒーショップがありました。

列車に乗ります。

スースに着きました。こじんまりとした駅です。

駅前は砂漠のオアシス都市の様相です。

おいしそうなジュース屋さんがあったので、ジュースを買いました。

駅前のレストランで昼食です。

美味しかった。

30歳くらいの男性にホテルを聞くと、丁寧に道順を教えてくれました。ホテルは旧市街にありました。

部屋は2階でした。壁は真っ白です。

屋上も真っ白で、目が痛いくらいでした。洗濯ものを干していましたが、5分もあれば、からっからに乾くと思いました。

周辺の散策です。スース旧市街は地中海に面しています。

遊覧船が留まっています。

ここからは城壁に囲まれた旧市街の入口です。

堅固な城壁です。

旧市街の道は狭く、迷路のようです。

ここからコーランが流れます。

商店街もあります。

水タバコの道具を売っています。

スィーツ屋さんもあります。

リバトと言う、見張り台目的の建築物があります。ここで、最も古い8世紀の建築物です。

グランドモスクが近くにあります。

ケロアン(イスラム教聖地):

今日の目的地ケロアンはメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ、イスラム教第4の聖地で、アフリカ最大です。

朝食は旧市街を出たところにある、ファーストフード店です。皆さんここで、朝食をとっていました。

ケロアンまで乗り合いタクシーで行きます。ターミナルから、各方面に出ています。

ケロアンまで1.5時間です。料金はバスより高いのですが、1.5時間乗って、300円です。6人乗り、満席になると出発です。

すぐに満席となり、出発しました。半砂漠地帯を走ります。

ケロアンの乗り合いタクシーとバスのターミナルに着きました。

人の集まるところには出店が並びます。

ここからイスラム寺院まで歩いて行きました。その通りには多くの商店が並んでいました。繁華街のようです。

お肉屋さんがありました。店頭には牛の首が並んでいました。

お魚屋さんもありました。

カメラで商品の魚を撮っていと、俺も撮れと言います。

立派なマグロもありました。

聖地のイスラム寺院に近づくとお墓がありました。墓碑は真っ白です。

聖地グランドモスクが見えて来ました。

イスラム寺院は高い壁に囲まれ、要塞のようです。

広い中庭があります。

日時計のようです。

現地服に身をまとった観光客がいました。

礼拝所です。

ここにも旧市街があり、これは旧市街への入り口です。

ホテルのあるスースに帰るためにルアージュ(乗り合いタクシー)に乗ります。

運転手は30歳前項のお兄ちゃんでした。道路はさほど混んでいませんが、交差点がロータリー式でした。信号機がなく、車はサークルに入り、行きたい方向に行きます。

私の乗っているルアージュが交差点の入りかけに、前の車にコツンです。

この2台の車は少し走り、道に寄せて止まりました。前の車の運転手は、黒いイスラム衣装を着で、あごひげ豊かな、体格のいい、40歳代の典型的なイスラム教徒。さてどのようになるのでしょうか。

 車が止まると、ルアージュの若い運転手と40歳代のイスラム教徒が車から出てきました。若い運転手は、自分の車のバンパーを丹念に見ていました。このルアージュは平均的な車ですが、日本のようにピカピカではありません。バンパーには塗装もしていません。傷がついてもあまり変わらないように思いますけど。

イスラム教徒は自分の車の近くに立っているだけでした。その後、若い運転手はイスラム教男性に近づきました。何か始まるのか。少しの会話がありました。内容は分かりませんが、争っている様子はありませんでした。

その後、若い運転手は、イスラム教男性と握手しながら、左手でイスラム教男性の肩をたたきました。これで一件落着です。大事にならなくてよかった。

スースに戻り、夕食です。スースはリゾート地でフランス人も多く、レストランはこぎれいです。

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