概要:
フライトでキルギットからラワルピンディに到着しました。
ラワルピンディの町の様子をお伝えします。
パキスタン人に聞いた「幸せとは」「バーミヤン大仏の破壊」
ラワルピンディ市内:
ラワルピンディに到着しました。人口300万人のパキスタン3番目の都市です。
隣が首都の近代的なイスラマバードです。
ラワルピンディは庶民の町と言うことで、宿泊はここにしました。
商店が雑居しています。
ベルト露店、サトウキビジュース、ファーストフード、本屋、スイーツ
本屋さん:
スイーツ
小銃を持ったガードマン:
大きなお店の前には小銃を持ったガードマンがいました。
座っていた警備員に写真を撮っていいか聞くと、警備員は直立不動になりました。
腰かけて下さいと言いました。
イスラム寺院とキリスト教会:
イスラム寺院です。
パキスタンは国民の90%以上がイスラム教徒です。
キリスト教会がありました。
これは、ラワルピンディとイスラマバードを結ぶ電車です。
イスラマバードまでの時間はかからないようなので、見学のため往復乗車しました。
駅構内の写真撮影は禁止でした。
ホテルから歩いて5分のところに、車を手配した旅行社があります。
多くに人に聞きましたが、行きつけませんでした。
後から、考えると、100mほど近くまで接近しましたが、そこで道を聞き、ホテル近くの繁華街に戻ってしまいました。
ここで、再度道を聞きました。この人が携帯で旅行社に電話をしてくれました。
ここで、旅行社からの車を待つことになりました。
アントニオ猪木のポスター
旅行社の入り口にはなんとアントニオ猪木さんのポスターがありました。驚きです。
この旅行会社の幹部の一人が日本人女性でした。パキスタン人と結婚し、仕事をしています。
観光後、再びここを訪れました。
その時、社員である30歳代のパキスタン人男性と長話になりました。日本語がとても上手です。
パキスタン人の幸せ
彼は、結婚し、子供もいます。家族を十分に養っていると言います。
そして、日本の豊かさに疑問を持っていました。家庭を持ち、パチンコをする姿は悲しい。
パキスタンは日本のように豊かではないけれど、幸せだと。
バーミヤン大仏の破壊の理由
アフガニスタンのバーミヤン大仏の破壊について、あの破壊は宗教上の理由ではないと言い切りました。
宗教上の理由であれば、もっと早く破壊されていた。
アフガニスタンの数多くの生活もままならない人々に援助が届かない。
一方で、世界は大仏の存続を大きく取り上げた。
その結果、話がこじれたようです。
アフガニスタンの砂漠の灌漑施設の構築に大きな功績のあった中村哲医師は著書の中で述べています。
当時、アフガニスタンは干ばつと飢餓でした。
この様な状況下で、欧米主導の国連によるアフガニスタン(タリバン)への制裁強化に食料もありました。
この直後、バーミヤン大仏の破壊があった。
ホテル:
このホテルに泊まりました。
外は暑いのですが、エアコンのないホテルの部屋で天井の大きな扇風機を回すととても快適でした。
空気が乾燥している。
夕食:
朝食:
翌日、ホテルのレストランは開店時間が遅く、ホテルの近くで朝食をとりました。
かなり混んでいました。
食堂は細長く、席は壁に沿ったテーブルです。屋外にも席がありました。
最初、水道で手を洗います。
水道のコックは厨房近くにあり、店員がコックの開け閉めします。
私が蛇口に手を差し出すと、店員が水道のコックを開けてくれます。
手を洗い終わると、店員がA4くらいの新聞紙を差し出してくれます。
これは、タオル替わりです。
脂っこいナンと豆です。ナンは、新聞紙が敷かれた皿の上にナンがあります。
お腹が心配でしたが、食後は何ともありませんでした。
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