これは、2013.07.29.-08.06の記録です。
エルサレム旧市街
旧市街は高い塀に囲まれています。
ここにユダヤ教地区、キリスト教地区、イスラム教地区、
アルメニア教会(キリスト教)地区があります。
アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とした国です。
今日はエルサレム旧市街のツアーです。昨日と同じ、地元のフリーツアーです。
集合場所は旧市街の門の一つヤッフォ門です。
エルサレムには中東戦争の弾痕などの傷跡が至る所に残っています。
門の表示の傷もそれです。
旧市街の道は石畳です。
数1000年の行き来で、石畳は擦り減っていました。
聖墳墓教会
キリストのお墓がある教会です。
キリストが処刑された後、キリストの遺体が十字架から降ろされた場所です。
この枠の中に半身を入れ、祈る人々がいます。
キリストのお墓があります。
中央ドームに描かれたキリストです。
この教会は屋上があります。教会内で見たドームが突き出していました。
市場を通り、移動します。
キリスト教地区のビルの屋上からエルサレムを見下ろします。
ここから、イスラム教第3の聖地である岩のドームが見えました。
こちらは教会です。
エルサレム旧市街はキリスト教、イスラム教とユダヤ教が同居しています。
エルサレムは古代イスラエル王国滅亡後、
長い間、イスラム教国の支配が続きましたが、キリスト教、ユダヤ教は存続しています。
第2次世界大戦後のイスラエルと周囲イスラム教国の争いの終止符は見出せるはずです。
中世はイスラム教とユダヤ教は共存していました。
嘆きの壁
中東戦争後、イスラエルにより発掘された2000年前の、西壁トンネルを通り、嘆きの壁に行きます。
嘆きの壁に着きました。
嘆きの壁は、古代イスラエルのエルサレム神殿の、現存する西壁です。
多くのユダヤ教の人々が、この前で祈りを捧げます。
最後の晩餐
キリストの最後の晩餐のあった場所が旧市街のシオン門の近くにあります。
シオン門は中東戦争の弾痕が数多く残っています。
最後の晩餐が行われた場所には何もありませでした。
これでツアーは終了です。
昼食をとりました。
ダビデ王の墓
最後の晩餐から近いところにある、
古代イスラエルの絶頂期の王であったダビデ王の墓に向かいました。
羊飼いだったダビデは、敵味方両軍がにらみ合う前で、
敵の最強の巨人兵士との対決で、剣を持たず、紐を使った投石で勝利しました。
ビロードが掛けられたダビデ王の石棺があります。
石棺を見ていると、エッジのある黒い帽子に
黒いユダヤ教衣服のもみあげの長い30歳代男性が声を掛けてきました。
そして場内を案内してくれました。
一角に立派に装丁された100冊以上の本のある書架がありました。
すべてのことが書かれていると、ユダヤ教徒は言います。
最後にガイドしてくれた若いユダヤ教徒はお賽銭を勧めます。
そのための透明のプラスチック箱が用意されていました。
そして、そのお賽銭はその人の国の通貨が良いと言います。
それはお賽銭が多くなり、自分に戻ると言う説明がありました。
夕食
夕食は前日と同じ通りの別のレストランに入りました。
最初、屋外席に案内されました。ビールを注文すると、
屋外ではビールを飲むことができません。
ビールを飲むのであれば、屋内のテーブルになると言われたので、
屋内のテーブルに案内してもらいました。
夕食を食べ終え、この日の旅はおわりました。
つづく
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