【中東の旅】イスラエル編~①~

イスラエル

【宗教の密集地エルサレム、隣接するパレスチナ、ペトラ遺跡】

これは、2013.07.29.-08.06の記録です。

旅の目的

紀元前からその支配をめぐって勢力が目指した地、イスラエルのエルサレム。

現在、ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教が同居しています。

エジプト文明とメソポタミア文明の間に位置するこの地の歴史的出来事は
古代イスラエルの建国、キリストの生誕、古代ローマの支配、
十字軍の到来、オスマン帝国の支配などがあります。

イスラエルに隣接するヨルダンには、20世紀に発掘が始まった、古代交易都市ペトラがあります。

旅の順路

ヨルダン経由でイスラエルに入国し、
エルサレム、パレスチナ(ベツレヘム)、ファイファを巡った後に、
陸路、ヨルダンに入国し、ペトラ、アンマンの順に行くことにしました。

イスラエルに直接入国することができますが、
入国手続きがかなり厳重と言う旅行社の勧めもあり、
イスラエル入国はヨルダン経由としました。

イスラエル入国

まず、中東経由でヨルダンのアンマン空港に行きます。

エディハド航空で成田21時30分発、ドバイ04時35分着、
ドバイ08時15分発、アンマン空港10時25分着です。

アラブ首長国連邦のドバイ空港は近代的で、イスラムの雰囲気があります。

ドバイ空港

マックがあったので、ここで朝食をとりました。

空港内のマクドナルド

空港内は快適ですが、乗継便に搭乗する際、暑さでカメラのレンズが曇ります。

機内食はまずまずでした。

機内食

ここから、陸路のキングフセイン経由でイスラエル入国です。

空港係員にキングフセインに行くルートを聞きました。

直接タクシーでも行けるが、バスターミナルがあり、
そこからバスが出ているとのことでした。

バスターミナル行きのバスに向かおうとすると、
インドネシア?のヒジャブをまとったモスリムの中年婦人が声を掛けてきました。

あなたはこれからどこへ行きますか?
キングフセインに行くならば、一緒に行きませんか?

要するに、タクシー利用の場合、タクシー料金を分け合いたいとのことです。

私はバスで行きますと言うと、一緒に行きますと言います。

私はヨルダン、イスラエルが初めてだったのですが、
この中年婦人も初めてのようでした。

バスターミナルに着きました。

キングフセイン行きのバスを乗客に聞きますが、知りません。

その乗客が他の人に聞いてくれましたがよくわかりません。

タクシードライバーが近寄ってきて、どこに行くのか聞いてきました。

料金を聞くと、乗客、中年婦人が加わり、値下げ交渉です。

タクシードライバーはしぶしぶOKしました。

タクシーは飛ばします。1時間しても到着しません。

中年婦人はタクシードライバーが怪しいと小声で言います。

1時間30分後、キングフセインに着きました。

実際はキングフセインの手前で降車します。
ここから先はタクシーで行くことができません。

ここでヨルダン出国です。

国境バスに乗り換えます。

ヨルダン、イスラエルの国境は緩衝地帯があり、国境バスはこの緩衝地帯を行きます。

イスラエル入国です。

パスポートの入国スタンプはなく、名刺大のカードを受け取りました。

この対応は、パスポートにイスラエル入国スタンプがあると、
イスラエルと敵対する多くのイスラム教の国々に入国ができないためと思います。

従来、パスポートではない、別紙に入国スタンプをしてもらう方法がありましたが、
イスラエルが対応したのでしょう。

後で気づいたのですが、名前のスペルが「I」であるはずが、「T」となっていました。

イスラエル出国時のイミグレでこのカードを確認しましたが、無事通過できました。

キングフセインからバスでエルサレムの旧市街の近くに着きました。

ここからホテルまでタクシーで数分でした。

ホテルの従業員はアラブ人でした。

エルサレム散策

エルサレムの旧市街は、8つの門がある城壁に囲まれています。

ホテルに近い、ダマスカス門の周辺は地元の人々で大賑わいです。

旧市街外も人通りが多いです。ほとんどすべてがアラブ人です。

新市街にはトラムが走っていました。

駅のプラットフォームにベンチがあります。

切符がなくてもプラットフォームに入ることができます。

夕暮れにベンチに座り、旅日記をつけていました。

顔を上げると、トラムの席に座っていた5,6歳のユダヤ人らしき女の子が私を見ていました。

地元の人と異なる身なりの人が日記をつけている姿が珍しかったのでしょう。
手を振ると、女の子も手を振りました。

真夏だったので、公園では下から水が噴き出ていて、子供たちが遊んでいました。

水遊びしている子供たちは服を着たままです。
宗教的な意味合いがあるのでしょう。

もみあげが肩まで届く子供たちがいました。

ユダヤ教徒ですね。

この暑い中、黒い帽子に、上下黒い服装の人たちがいました。

ユダヤ教徒です。

死海の商品を売っているお店です。

死海からの原料で作ったコスメなどを売っていました。

石鹸を買いました。

オーナーのような店員はユダヤ人の気品ある中年婦人でした。

旧市街の内外には露店めいたお店が沢山あります。

手に自動小銃を持った女性兵士を含む兵隊がいました。

緊張感もなく日常の行動のようです。

カメラを向けることは控えました。どことなく緊張を感じてしまいます。

夕食と会話

ホテルでレストランを聞きました。

歩いて10分ほどのところにあると言います。

旧市街とは反対方向の人通りの少ないところでした。

途中のガソリンスタンドで道を聞きました。

そこはレストランが数軒ならんでいました。

レストランを眺めていると、80歳くらいの白人男性が声を掛けてきました。

ユダヤ人のようですが、身なりはアラブ人と同じでした。

どこから来た?
日本か。
日本は素晴らしい国だ。
大国と戦争し、負けたが、経済発展はすごい。

何か、イスラエルは日本を学ぶべきのように聞こえました。

入ったレストランはバーカウンターがありました。

良かった。ビールが飲める。

出てきたビールは地元のパレスチナビール(TAYBEH BEER)です。

1994年から、ヨルダン西岸のパレスチナで醸造が始まりました。

いくつかのイスラム教国もビールを醸造していますが、
それは植民地時代に宗主国が現地で開始したもので、
パレスチナビールの由来とは異なります。

モスリムは基本、アルコールを飲みませんが、
モスリムのパレスチナは生きるための策のような気がしました。

魚料理でしたが、おいしかった。

何人かいた、このレストランの店員の顔は似ていました。

恐らく、彼らは一族だと思います。

つづく

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