インド:ヒンズー教聖地と仏教遺跡(8)バイシャーリー(仏舎利)、博物館

アジア

概要:

今回のインド編の最終回です。
仏陀の骨が埋葬されていたバイシャーリー(仏舎利)に行きます。
家の前にいたご老人から声を掛けられました。
日本人と言うとたいそう喜びました。
バイシャーリーは質素な建屋にありました。
アショカピラー(アショカ王が仏教を布教するために建てた)に行きました。
その後、市博物館と州博物館に行きました。
州博物館にはヤクシー(夜叉、女性)像があり、ヤクシーは仏教の毘沙門天の配下になりました。

バイシャーリーへ、オートリクシャとバス:

ホテルからオートリクシャでバスセンターへ。
バスセンターからバイシャーリーに向かいます。
インド人の始動は早いです。
オートリクシャは満席です。
3輪車なので、乗って、後部座席に3人の乗客と思います。
しかし、この時は後部3人、前に2人の乗客です。
しかも、運転手は中央ではなく、端に座り、運転します。

オートリクシャの乗客の行く方向は同じです。
私はバスセンターに行きますのでオートリクシャの乗継します。
乗り継ぎは係員がてきぱきと誘導してくれます。
バスセンターに着きました。

バスセンターには大型バスが沢山止まっていました。
行き先を言うと、バスはすぐ見つかりました。
バスは満席でした。
最前列の乗客が目の前にある小さな荷台を指さします。
そこは狭く、足は最前列の乗客の足と交差し、身動きできない状態です。
この状態で約3時間です。

途中、大きな川の橋を渡りました。
乗客がこの川はガンジス河と教えてくれました。
75円の料金を車掌が集めに来ました。

バスから下車したところは田舎:

どこに行くかと聞かれ、寺院と答えました。降車駅はここが近いと教えてくれました。
降車すると、そこはインドのまさに田舎でした。

間違ってヒンズー教寺院に:

入り口らしきところに来ました。

テンプルと聞くと、そうだと言います。
「テンプル」は間違った質問でした。
途中、家の前にいた80歳を超えた老人から、どこから来たのかと聞かれました。
日本と言うと、その老人は大いに喜びました。
その喜び方は尋常ではありませんでした。
中国と敵対するインド、インドの自動車シェアトップのスズキ自動車など、インド人が日本を好む材料はありますが、何か他にもありそうです。
なぜ、この老人がこのような喜びを見せたのか気になり、その後、ガヤの民泊日本人オーナーにメイルし、ネットで調べると、この喜び方を納得しました。
インド独立運動家で、ガンジーと共に行動したスバス・チャンドラ・ボースがいました。
イギリスの植民地となっていたインドを独立させるために、ボースは、イギリスと戦っていた第二次世界当時の日本軍にインド独立の協力を要請しました。
日本軍と行動を共にしたボースは、インド独立を見ることなく、亡くなりました。
そのお墓は日本のお寺にあります。
独立後、日本を訪れたインド要人はこのお寺を訪ね、そのインド要人の言葉が碑文としてお寺にあるようです。
インドにはボースの銅像があり、人気が高いと言います。
道を進むと、バイクの男性が乗って行かないかと誘ってくれました。
でも、着いたところはヒンズー教寺院でした。
この寺院も有名らしい。
寺院の人から中へと勧められましたが、断りました。
目的地は寺院ではなく、仏塔跡でした。
ここの大通りにはオートリクシャが何人もの乗客を乗せて走っています。
地元の人の足です。
乗客が乗っていても、手を上げます。
オートリクシャは止まります。
私の目的地とオートリクシャの行く方向が一致していれば、乗せてくれます。

仏塔跡入り口:

オートリクシャで仏塔跡入り口に着きました。

大きな傘のような屋根の下に仏陀の骨が発見された仏塔跡があります。

ここに仏陀の舎利があったと言うことです。
ここからの出土品はパトナー博物館にありました。
見学を終え、大通りに戻る途中、レストランがありました。
お客さんは誰もいませんでしたが、ミルクティーを注文しました。
ミルクティーを飲み終え、外に出ると、店員が指さし、ウエディングと言います。
その先には、別棟の前に何人かの人がいました。面白半分で見に行きました。
すると、逆にこちらが写真を撮られました。

大通りに出る途中、初めて見る不思議な動物がいました。
家畜のようですがブタの仲間でしょうか。

アショカピラー:

次の目的地は、アショカ王柱(アショカピラー)です。
アショカ王は紀元前3世紀、インドを統一し、仏教を保護する理念を刻んだ石柱を多く建てたそうです。  ピラーは大通りから少し入ったところにあります。

入場料を払い、入場します。観光客は数人でした。

子供たちが、小さな実をつけた木に石を投げていました。
実を落とし、集めていました。
その近くのベンチでたたずんでいると、5,6歳の男の子が近寄ってきて、私にチョコレートと言います。すると、他の子供がこの子を指し「not go to school」と言います。
カースト制度の影響があるのでしょうか。

パトナーへ:

アショカピラーの前でオートリクシャを待ちますが、来ません。
反対方向にも来ません。
仕方がなく、大通りまで1Kmちょっと、歩きます。
帰りのバス停がどこにあるか分かりません。
これまで歩いてきた道にバス停の表示はありませんでした。
ここは移動方法を覚えると、便利です。
それは、オートリクシャでの移動です。
大通りはオートリクシャが数分に1台行き交います。
オートリクシャに乗客が乗っていようが、いまいが手を上げて止めます。
そして、パトナー行きバス停と言い、OKしたオートリクシャに乗り込みます。
オートリクシャを降りた所で、パトナー行きのバス停であることを再確認するために付近の人に聞きます。
でも、誰もバスを待っている人はいません。
バスの時刻表などあるはずはありません。
待つこと、15分、大型バスが来ました。
手を上げて、行き先を言うと、NGでした。
すべてのバスが州都パトナー行きではありませんでした。
更に10分、バスが来ました。
今度はパトナー行きでした。
乗ることは出来ましたが混んでいました。

立っている乗客もいました。
でも、近くの座席の乗客が途中で降りたので座ることができました。
更に乗ってきます。
乗り込んできた若い女性が何かを私に言ってきました。
現地語なので、何を言っているか分かりませんでした。
すると、立っている乗客が、女性は優先的に座らせると言います。
座席を譲りました。

市博物館:

パトナーには、2つの博物館がありました。
市博物館と州博物館です。
2つはホテルから歩いて行ける距離にあります。
最初に市博物館に行きました。
大通りから少し入ったところにありました。
博物館の建物は立派でした。
その前の建物と比べると、その落差に驚きます。

展示物は多くはありませんでした。

ここのメインは別のところにありました。
1階を見終わると、鍵を持った係員が2階を案内してくれました。
扉を開けます。
入場料金が全く違うせいか、地元の入館者は見れないようです。
ここに、仏陀の骨があったと言う、場所の模型があり、仏陀の骨はありませんでしたが、周辺に出土品が置いてありました。

ビハール州博物館:

時間が余りました。
そこで、ビハール州立博物館に行くことにしました。
地球の歩き方にはこの博物館は載っていませんでした。

州立だけあって、内容は充実していました。
すべて石です。木造の像はありませんでした。

その顔付を見た時、パキスタン・タキシラ博物館のガンダーラ仏像を思い出しました。
この博物館には多種多様な石像がありました。

そして圧巻はヤクシー(夜叉)です。
ヤクシーはインド土着の神でしたが、仏教に取り入れられたようです。
ヤクシーは女夜叉であり、仏教では仏法を守る神となったとか。
屈強な毘沙門天の配下らしい。
豊満なこの女性像が毘沙門天と関わりを持つに至るには、長い歴史があるようです。


博物館からホテルに向かっていると、ヘルメットをかぶった40歳くらいの男性が話しかけてきました。

いくつかの質問の後、私がぶら下げているカメラを見て、あなたはリッチだろうな。
俺はこれから昼飯だ。
気さくな人でした。

日本と同じように、月にウサギがいることになったと言う民話がインドにあります。
インドの民話:
神様が老人に姿を変え、修行の確認をするために地上に降りました。
老人は、仲良く暮らしていた、狐、猿とウサギに向かって言いました。
「腹がへったので、何か食べ物が欲しい」
三匹は林に入りました。
狐は鯉を、猿は果物を採り、戻りましたが、ウサギは収穫なしでした。
老人はウサギを問い詰めました。
すると、ウサギは狐と猿に木の枝をたくさん集めるように頼みました。
集めた木の枝は燃え上がりました。
ウサギは言いました。
「私は狐や猿のような才能がありません。どうか、私の体を食事にあてて下さい」
そして、火に中に飛び込み、死んでしまいました。
老人は神に姿を変え、薪を取り除き、狐と猿に言いました。
「私は心を打たれた。ウサギを月に残し、この行いを後世に伝えよう。」
狐、猿、ウサギと神が登場し、多少話の違いはあるものの、同じ民話が日本にあります。
その結果、日本でもウサギが月にいるとのことです。
ともに、自分を犠牲にして他者に奉仕する精神の話と言うことです。

今回の旅の終わりです。


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