概要:
アスワンからルクソールへ電車で移動しました。
ルクソールに着いた時間帯は小学生の下校時間でした。子供たちはカメラの前ではしゃぎます。
オープンカフェで砂嵐に会いました。
内部にヒエログリフ一面の王家の谷の墓、女王が建てたパトシェプト祭殿、石柱並ぶカルナック神殿などを尋ねました。
ルクソールへ:
アスワンからルクソールまで移動します。列車で4Hrです。
ホテルフロントに列車の時刻を聞きます。フロントはネットで調べますが良くわかりません。
午前6時30分、ホテルをチェックアウトしました。
ホテルの前の道路にタクシーが走っていましたが、外は心地よい気温です。
前日、駅の場所を確認していたので、徒歩で駅に向かいます。
鉄道駅は朝早いせいか、人はまばらでした。
駅の入り口の、機能しているかよくわからない、金属探知機をくぐります。
セキュリティに切符売り場を聞き、列に並びました。
窓口でルクソールと言うと、列車の中で切符を買えと言う。
係員のいない改札口前で、セキュリティが切符を買ったかと言うので、列車の中で買うように言われたと言う。そして、セキュリティは国籍を聞いてきました。
「Japan」
と答えると、行けと言う。
ファーストクラスのコンパートメントに乗り込みます。
ファーストクラスと言っても、座席は白いソファーでしたが砂をかけたようでした。
乗客はみな、砂を払ってから座ります。リクライニングは付いていました。
列車出発後、車掌が来た。切符を買う。60エジプトポンド(360円)。
途中の駅で家族連れが乗り込んできました。車掌は私に席を変われと言う。
ファーストクラスでも座席の指定はありません。
家族は横一列に座りたいらしい。
移動しようとすると、家族は別の座席に座ると言って、去りました。
列車はナイル川沿いを走ります。
列車とナイル川の間は100mもありませんが、その間は緑多く、青々としています。
ほとんどが畑でした。ナイル川と反対方向を見ると、そこは砂漠です。
対岸も同様に青々とした緑の背景は砂漠でした。
これが、ルクソールまで延々と4時間続きます。
これがエジプト文明の源泉だ。砂漠の中の巨大なアブシンベル神殿を思い出しました。
巨大アブシンベル神殿はこの巨大な緑があれば、その恵みで建造することができると思いました。
そして、砂漠がこの緑を外敵から守ってくれるだろう。
ルクソール到着、民泊へ:
ルクソール駅に到着しました。ルクソールの現在の人口は50万人。昔、テーベと呼ばれていました。
20年前、テロにより、多くの人がなくなっています。
ルクソールの宿泊は民泊です。民泊からの迎えが駅に来るようにお願いしていました。
駅に到着後、携帯で到着したことを伝えました。
民泊の車を駅前で待っていると、多くのタクシーの運ちゃんがどこに行くのか聞きに来ます。
その都度、断ります。
今度は、若者がニコニコして、近寄ってきました。握手をして、ついてくるように言います。
民泊からの車と思い、ついて行きました。タクシーの運ちゃんでした。
しばらくすると、民泊からの車が来ました。
民泊は予想以上に良かった。
近くに別の民泊がありましたが、これもヨーロッパ人がオーナーで、海外からの旅行者をお客にしているようです。
部屋を紹介します。
リビング、キッチン、ベットルームにテラスがありました。屋上に上がることもできます。
周辺探索:
繁華街まで徒歩15分、周囲は田園地帯でした。
近くにコンビニがありました。ここで、水、ジュースとヨーグルトを調達しました。
さて、周辺を探索します。時間帯が、小学校の下校時間でした。
子供たちにカメラを向けると、子供たちは大はしゃぎです。
子供たちが、どんどん集まってきます。
ロバ馬車は現役でした。
拡声器が設置されている尖塔があります。ここはイスラム社会です。
黄色い車の前に、大勢の子供たちが歓声を上げていました。お菓子の宣伝のようです。
パン屋さんがありました。
次の日、ここでパンを買いました。小さいパンを3つ買いました。
その値段は1ポンド(6円)でした。1個、2円でした。
次の日もパンを買いました。店員は私のことを覚えていてくれました。
民泊から歩いてナイル川に行きます。
途中、観光の馬車が止まっていました。乗って行けと、うるさいくらいです。
途中、小学5,6年生の男子と一緒になりました。何やら話しかけてきます。
でも言葉は分かりません。怪我をしたのか、指に包帯を巻いていました。
そのうち、怪我をしているから、金をくれと言うしぐさ。子供なのにこのような態度です。
ナイル川に着くと、子供は足早に川岸に向かいました。そこには老人がいました。
お金を与えませんでしたが、子供とは屈託のない別れでした。
オープンカフェと砂嵐:
民泊から5分ほど歩いたところに、オープンカフェがありました。席はすべて、屋外です。
作法がよくわからず、店の前にいると、お客がここに座れと言います。
何人かは地べたに置いた水タバコ(タバコの煙を水に通して吸います)を吸っています。
紅茶を頼みます。
2日連続行きました。旅行日記をつけました。
2日目、日記をつけていると、ペンの走りが急に悪くなりました。
そして、風と共に砂が舞う、砂嵐です。ペンの走りの悪さは、砂が影響したようです。
どうしようもなく、砂嵐が止むまで5分程じっとしていました。
砂嵐が去った後、私の紅茶の中に砂が浮いていました。
すると、隣のお客がスプーンで、その砂をとってくれました。でも、飲む気はしませんでした。
ルクソールには3泊しました。
再び小学生が:
朝方、また小学生たちに出会いました。写真を撮ると大はしゃぎです。
ベットのご老人:
市内とは反対方向の畑を朝の散歩です。人影はほとんどありません。人家の前に老人がいました。
座っているのは、枕、毛布がありベットのようです。昨夜はここで就寝したのでしょう。
今、朝の紅茶のようです。
カメラを向けると、こちらを意識します。写真を撮ると、親指と人差し指をこするしぐさです。
お金の要求です。
ここでは、何かにつけお金を要求します。
ルクソールでのサイレン:
ルクソールの2日目の19時30分頃、民泊の前をサイレン鳴らした数台の消防車が通過しました。
2階の部屋のテラスから見ていると、その後、救急車、パトカーが続き、更に覆面をし、小銃を持った兵隊を乗せたトラックも通過しました。20台を超える車が通過しました。人も集まりだしました。
テロでも起きたのか。
不安が走ります。
1時間後、車は帰り、何もなかったようです。
翌日、民泊の係員に聞くと、このことは全く知りませんでした。
この係員、民泊のお手伝いをする一方、お土産屋さんを経営しています。
そう言えば、カフェの近くに、小銃を持った兵士がいる小さな建物がありました。
建物の前には、コンクリートの分厚い壁があり、戦闘時の弾除けのようでした。
メムノンの石像・王家の谷:
ルクソールの現地ツアーを、事前に民泊に問い合わせると、よく分からないと言います。
でも、係員の車で観光することはできると言います。プライスを聞いて、OKしました。
朝、民泊の前は陽があたり暑かったので、向かいの家の前の石に腰かけて、車を待っていました。
出かけようと家から出てきた住人が、私を見て、どうかしたのか心配してくれました。
さて、出発です。両側に緑のある道路を行きます。
最初に立ち寄ったのは、高さ18mのメムノンの石像でした。
石像は夜明けになると、音を発すると言います。
地震による石像のひび割れが原因と言われています。
王家の谷は、エジプト王の墓が集中しているところです。現在、64の墓が発見されているそうです。
王家の墓の入り口で、帰りの時間を確認して、車と別れます。
何故か王家の谷の手前が入場券売り場です。
そして、ここから本当の王家の谷の入り口までの移動車の切符も販売しています。
歩いても行けますが、猛暑の中、歩く人はいません。
車を降りると、入場券のチェックです。
そして、カメラのチェックがありました。ここで、カメラを預ける必要があります。
でも、持ち込む観光客もいました。
係員に聞くと、カメラ持ち込みのための切符がいるとのこと。
カメラ持ち込みの切符を持っていなかったので、ここでは切符を売っていないのかと聞くと、
金を払えばよいと言います。お金を払い、カメラを持ち込みます。
順路の標識もありません。この周辺の地図は売っていないのかと聞きました。
係員は紙切れに、超簡単な道順を書きました。これで、お金を要求します。
外から見ると、ただ、岩山だけです。
この岩山の所々に穴が開いています。これが、お墓の入り口です。
大きなピラミッドも王たちのお墓ですが、ここにもたくさんの王たちのお墓があります。
王家の谷はピラミッドより1000年以上新しく、その間、いわゆる首都も移動しました。
王家の谷に埋葬された時代にピラミッドを作る技術はなかったとも言われています。
従って、王たちの墓がかなり違った形態になったとのことです。
お墓の内部に入ります。鮮明な壁画です。
でも、写真撮影禁止です。
あの、カメラ持ち込み切符は何でしょうか。
でも、あるお墓に入ると正々堂々と写真を撮っている観光客がいました。係員も何も言いません。
次のお墓に入った時、その謎が解けました。
お墓に入り、壁画を眺めていると、係員が寄ってきて、写真を撮ってもよいと言うしぐさをします。
そして、お金の要求です。3米ドルを渡しました。
お墓の外の砂漠一色の世界から別世界に入りました。
お墓の中は、壁、天井にくまなく装飾です。
そして、エジプトの古代文字である象形文字も何色も使い、色鮮やです。これが文章です。
パトシェプスト祭殿:
1997年テロにより、ここで62人がお亡くなりになりました。
古代エジプト唯一の女王が造営しました。
切り立った崖の前に石造りの構築物があります。その前には広大な広場がありました。
構築物の前には大きな石像が並んでいます。
石像は無表情ですが、その表情から男性と女性がいるような気がしました。
建物に壁画があります。
中に入ると、その空間は大きくありませんでした。ここ、ナイル川西岸は死の世界の領域と言います。
帰り道のお土産屋さん:
帰り道、車はお土産屋さんに止まりました。
王家の谷の裏山で石材が採れ、これで皿、置物などを作り、売っていました。
店の前で、それらの製造のデモンストレーションしていました。
帰りがけ、この人たちもチップの要求です。
夕食:
中心街から少し離れた民泊の近くにはレストランはありません。
中心街に行って、レストランを探します。スマホでトリップアドバイザーをチェックします。
トリップアドバイザーのレストランは精度が高く、はずれがありません。
店の名前はランタンルームレストラン。入り口から西洋風です。
開店時間前に行きましたが、中に入って待ちました。
ここは、イギリス英語発音の白人中年女将が仕切っていました。
お客の合わせたテーブル配置などの指図をしていました。とても人が好さそうです。
鳩料理もあり、これは前日予約と言います。
ビールもあり、味も中々でした。近くに大きなホテルがあり、欧米観光客相手のようです。
カルナック神殿:
民泊からカルナック神殿まで数kmの距離です。日本であれば、景色を見ながら散歩できる距離ですが、エジプトの暑さに慣れていません。
カルナック神殿と民泊の間にはルクソール神殿もあるので、カルナック神殿まで車で行き、徒歩で戻ることにしました。この道はナイル川に沿っています。
王家の谷、パトシェプト祭殿は死の世界のである、ナイル川西岸にありますが、カルナック神殿は生の世界である、ナイル川東岸にあります。
今回の旅で、スフィンクスなどにも行きましたが、カルナック神殿は、私にスフィンクスに劣らない感動を与えてくれました。
民泊の白タクで、朝、カルナック神殿に着きました。
進むと、小型スフィンクスが両側に数10体、私たちを迎えてくれます。
石の巨大なゲートを通過します。ゲートの巨大さに比べて、通路は狭い。
広場のようなところに出ます。ここには、下部しか残っていない巨大な支柱があります。
もとの姿だったら、想像を絶します。
広大な神殿は、壁に囲まれています。そして、至る所に壁画がありました。
次の建物の入り口には10mを超す、石の立像があります。
この建物にも壁画があります。その先に大列柱室があります。
130本と言われる、高さ20mは超え、太さは数mの石柱が林立しています。
これらの石柱の間隔は2mもないほどです。
圧倒されます。
そして、石柱の根元からてっぺんまで絵が彫られています。
これらを囲む壁の内、外側にも精緻で鮮明な壁画があります。
壁画には、儀式をしているような人物像、動物と象形文字が彫られています。
大列柱室の先にオリベスク(記念碑)があります。
オリベスクの高さは30mです。象形文字が刻まれているオリベスクは何本かあります。
古代ローマ、現代アメリカにもオリベスクはあります。その原型ですね。
オリベスクの周辺に大きな石像が並んでいます。
神官たちがここで身を清めたと言う聖池です。
これは裏口です。そして、その前には古代建築物の一部が山積みで置かれています。
現在も修復は行われていましたが、完全に修復出来たら、すごいことになるでしょう。
休憩で座ろうとしたら、現地人らしい男性がここに座れと言います。
そして、「チャイニーズ、チャイニーズ」と言います。
観光客のほとんどが中国人と言いたいようでした。
古代ギリシャの神殿に先行すること約1000年のこの神殿の建築技術は、石材の種類を除けば、その後のギリシャ、ローマの建築技術に引けを取らないと思います。
ルクソール博物館、ルクソール神殿:
カルナック神殿を後に、ナイル川沿いを歩き、ルクソール博物館、ルクソール神殿に向かいます。
ナイル川沿いには、並木のある歩道があります。
この通りは、今回のエジプト旅行の中で最も整備されていました。観光船の発着場所もありました。 暑いです。500m毎に休憩です。
首からカメラをぶら下げて歩いていると、男性が近寄ってきて、写真を撮れとのこと。
写真を撮ったら、満足そうでした。
ルクソール博物館に到着しました。入場券と写真撮影券を購入し、入りました。
エジプト文明の遺品のキーワードの1つは「死」ですね。ここにも、棺とミイラがありました。
棺は装飾も鮮やかです。
生身?のミイラがありました。皮膚がきれいに残っていました。
人間離れした、大きな目、細長い顔のエジプト王の像です。
他の像はそのようなことはなく、誇張されたと言われていますが、信じがたい。
目の周りと目じりを見ると、現在の女性のお化粧と似ているように思いました。
ルクソール博物館を出て、ルクソール神殿に向かいます。
ナイル川沿いの道は、堤防になっているのか、少し高くなっています。
ここからルクソール神殿を見ることができます。
ルクソール神殿の観光客はほとんどいませんでした。
直前にカルナック神殿を見たせいか、ルクソール神殿に感ずるところはあまりありませんでした。
入り口までは行きましたが、中には入りませんでした。
ルクソールの日没です。南国ムードです。
ルクソールからカイロの民泊へ:
明日はカイロに移動です。民泊の前を通りかかったタクシーを予約しました。
言い値より、少し負けてもらいました。
空港に向かう途中で、遺跡らしきものがあり、タクシーを止めてもらいました。
台座のみが延々と並んでいました。そこに少しばかりの小型スフィンクスがありました。
町中、遺跡のようです。
空港の前に旧式ミグ戦闘機が陳列されていました。
運ちゃんは、この戦闘機はイスラエルのテルアビブを攻撃したと言っていました。
途中、降車し、写真を撮ったので、言い値の料金を支払いました。
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