概要:
アルジェリアのタマンラセットから、アルジェリアのアルジェとモロッコのカサブランカを経由してモロッコの古都フェズに向かいます。
城壁に囲まれたフェズの旧市街築300年のゲストハウスに宿泊しました。
ゲストハウスへ、窓のない住宅街の迷路のような狭い道を行きました。
まさにイスラムの旧市街でした。
精緻なイスラム文様のモスク、バザールがありました。
ユダヤ人居住区が王宮の近くにあり、歴史的にイスラム世界に同居していたユダヤ人を感じました。
アルジェリア・タマンラセットからモロッコ・フェズへ
深夜1時25分タマンラセット発のフライトはジャーネットを経由して、アルジェリアの首都アルジェに早朝5時30分に着きました。
次のフライトは15時10分アルジェ発、カサブランカ行きです。
アルジェリア地方都市へのフライトは毎日ありません。
従って、このような、長時間の待ち時間になります。
17時、カサブランカ空港に着きました。日はまだ高いです。
カサブランカ駅を現地語で、カサボヤージュと言います。
空港からカサボヤージュまで電車で30分、カサボヤージュに着きました。
駅前には木々があり、これまでの砂漠とは異なります。
次の日、8時15分発の電車で古都フェズに向かいます。
この日は泊まるだけのカサブランカです。
駅前にはタクシーが沢山止まっています。
タクシーの運ちゃんが近付いてきて、どこに行くのかと聞いたので、ホテルの名前を言うと。
それは遠いと言います。
ホテルは駅から歩いて5分もかかりません。運ちゃん、うそを平気で言います。
ホテルは駅に近いのですが、場末のようです。
夕方、ホテルの近くの果物屋さんで、バナナを買いました。5本で130円。安いです。
カサブランカからフェズへ電車で
翌朝、8時15分発の電車でフェズに向かいます。
フェズまで4時間です。買った1等席切符は6席のある個室でした。エアコン付きでした。
後から、乗ってきた35歳くらいの男性、60歳くらいの男性と話になりました。
35歳男性の親戚は隣国アルジェリアの国境付近に住んでいる。
陸路を使えば、アルジェリからすぐなのに、政治的な問題で陸路が閉鎖されている。
空路で移動すると、かなり遠回りで時間が掛かる。
60歳男性は英語を話すことができませんでしたが、35歳男性が通訳をしてくれました。
60歳男性は、フィンランドのパスを持っていました。
これでいろいろな恩恵が受けられるらしい。給料もよいと言う。
しかし、3か月間、太陽が出ないと言います。これが、きついらしい。
フェズ到着、築300年のゲストハウスへ:
列車で、モロッコ国旗がなびく、フェズ駅に着きました。
駅前は近代的なビルが勝ち並びます。
築300年のゲストハウス:
旧市街のある、宿泊先の民泊まで、お願いしていた車で向かいます。
旧市街は城壁に囲まれています。
迎車から降ろされたところは、正門ではなく、民泊に近い脇の門でした。
ここで子供たちが遊んでいました。カメラを向けると、手で顔を隠す子供がいました。
旧市街にある民泊への道だけでも、モロッコの雰囲気を楽しめます。
脇門を入ると、そこは目抜き通りでした。
目抜き通りと言っても、車が入れないような、狭い通りです。通りの両側に商店が立ち並びます。
目抜き通りの終わりかけに、民泊(世界的にはゲストハウスと言います)の表示がありました。
ここには何軒ものゲストハウスがあるようです。
目抜き通りは狭いのですが、横道は更に狭く、ここを入っていきました。
途中、木の補強材があり、ちょっと心配になりました。
迷路のようです。家の扉もありますが、固く閉じられています。これが、中世の街の姿です。
民泊はその一角にありました。
狭い路地を通り、扉を開けると広い空間が広がっていました。
天井から太陽の光を採光しています。
民泊オーナーは、この建屋は築なんと300年と言います。
街全体が300年以上の歴史を持っているようです。そこに多くに人が住んでいます。
NHKのTV番組「ブラタモリ」のローマ編では、2000年前の古代ローマの建屋に、快適に現代生活を送っている人の紹介がありました。
築300年は序の口です。
部屋は2階でした。
部屋にはベットルールとバスルームがありますが、とてもに狭いです。
古さを感じるのは、天井とその周辺の文様です。
その頃は、既にイスラム世界。文様はそれを示しています。
フェス旧市街:門と城壁
ここで、フェズをご紹介をします。
フェズの城壁に囲まれた旧市街には、門がいくつかあります。
下の写真は、城壁に囲まれた墓地です。
ここだけ、多数の鳥が上空に舞い、ちょっと不気味です。
城壁内に、さらに城壁があり、いくつかに区分けされています。
広場のようなところには露店が立ち並びます。
広場の仮設露店とは異なる、常設露店は城壁沿いに立ち並びます。野菜、服などを売っています。
石炭も売っていました。
アーケードで羊を運ぶ人に出会いました。
元祖バンバーグ店がありました。丸いパンを半分に切り、その切り口を広げ、そこに引き肉料理を入れます。これ、結構いけます。
・カラウィーンモスク:
・ 規模は大きくありませんが、精緻さで世界的に有名なモスクです。素晴らしいです。
・王宮、ユダヤ人地区:
フェズの旧市街は世界遺産です。散策していると、王宮、ユダヤ人地区の道案内板があり、驚きました。王宮の隣がユダヤ人地区です。
中世の北アフリカはイスラム圏でしたが、多くのユダヤ人(ユダヤ教徒)も住んでいました。
別に戦争することもなく。
第二次世界大戦後、イスラエルが建国すると、ほとんどのユダヤ人はイスラエルに行きました。
でも、イスラエルに行かなかったユダヤ人もいました。
その後、民泊オーナーに、「なぜ、モロッコ王宮の近くに、ユダヤ人地区があるのか」と聞きました。オーナーはちょっと驚いた後、
「それはイスラムの包容力だ」
と答えました。
旅行後で調べると、ある推論ができました。
当時、スペインを支配していたイスラム教徒が、キリスト教国との戦いに敗れ、北アフリカに逃げ帰りました。
その中にイスラム教徒に加えて、ユダヤ教徒もいました(これは事実)。
従って、イスラム教徒居住地の隣にユダヤ人居住地があっても、別に不思議はないことになります(推論)。現在のイスラエルとその周辺のイスラム教国の終わりの見えない争いは、土地の争いだと言った大学教授がいました。
王宮は写真撮影禁止でした。
ユダヤ人地区の入り口には、露店が並んでいました。
更に進み、取り敢えず、ユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグを目指しました。
ほとんどの人は英語が話せません。モロッコの第一外国語はフランス語です。
それ以上積極的に探すことを諦めました。
・サッカー観戦カフェ:
カフェでテレビのサッカーを観戦している人々がいました。モロッコはサッカー好きが多いようです。
別の日の話です。
城内の門の近くに、オープンカフェがありました。
ミントティーを注文し、往来を見ながら数時間、旅日記をつけました。
隣席の、服装から欧米人らしい黒人の観光客から、
「あなたはジャーナリストか」
と聞かれました。
・夕食はタジン:
民泊オーナーに聞いたレストランに行きました。屋上でラスで旧市街を上から見ることができました。
お客さんは私一人でした。
蓋がひょっとこ面のような、タジンと言うモロッコ料理、ビールとともに頂きました。
別の日の夕食です。入り口は重装な扉です。
旧市街を眺めながらのレストラン内の青の照明はエキゾティック感を醸し出します。
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