概要:
2時間遅れのフライトでカトマンズから、お釈迦様生誕の地近くのバイラワに到着。
翌朝、寄付を要求した軍人が止めた車でルンビニ行きのバス停へ。
白い建屋の中にお釈迦様生誕の地がありました。
周辺には各国の仏教寺院が立ち並んでいました。
日本の寺院を発見。
バス亭の名前を叫んでバスに乗車する。
バス停からホテルまでの人力車の料金の支払いに小銭がなく、通りすがりの人々が小銭と交換してくれました。
ルンビニ近郊バイラワ:
次の日、カトマンズ空港16時30分発、バイラワ17時05分着のフライトで移動です。
航空会社名は、仏陀の生まれ故郷にちなんだのか、ブッダエアーです。
ロビーのフライト情報表示はエクセル画面で表示です。
フライトは大幅遅れです。出発は2時間遅れの18時30分過ぎです。陽は落ちていました。
夜のバイラワ空港に到着:
バイラワ空港はとても小さい空港でした。預けた荷物はコンベアを使った受け取りではなく、カートでエリアに運ばれた荷物を係員が手渡しします。
乗客は20,30人ですから、荷物の手渡しにそんなに時間もかかりません。
バイラワ空港から宿泊地までの車を、民泊サイトで予約した宿泊先にお願いしていました。
タクシー配車をする男性に、お願いしていた車を探してもらいましたが車はいませんでした。
フライトが2時間遅れたためでしょうか。
その男性は携帯で宿泊先に電話してくれました。男性は話した後、私に携帯を差し出しました。
携帯を受け取ると、電話にでた宿泊先フロントらしき男性は、別の街にいるとのこと。
いくつかの宿泊場所を掛け持ち、今、私が泊まる予定とは異なる場所にいるらしい。
タクシーでホテルまで行って欲しい。料金は700円でした。相場よりかなり高めです。
周辺にあまり建築物のないホテルに到着:
途中、検問がありましたが15分もかからず、宿泊先に着きました。到着時刻は20時頃でした。
民泊サイトで予約した宿泊先でしたが、小さなホテルでした。
旅行前、このホテルをグーグルマップで調べましたが付近の道も良く分かりませんでした。
ホテルには着いたのですが、自分が今どこにいるのかよくわかりませんでした。
フロントの2人の男性は英語をほとんど話せません。
次の日の予定のルンビニへの行き方を聞くと、タクシーで1000円。
バスは乗継があり大変だと言います。
WiFiはパスワードを入れても繋がりません。
部屋は広いのですが、TVの電源が抜かれていたので、差し込もうとしたのですが型式が合っていません。温水も出ません。
ホテルの狭いレストランで食事をします。ビールがあったので良かった。
宿泊料金は2500円で、ここらでは中級以上と思いますが、、
朝の散歩で軍人から写真の要求:
翌日、朝6時に起きました。カーテンを開けると、外は霧がかかっていました。
大通りが見えました。バスが頻繁に通過しています。地元の人はこれを利用しているのだろう。
朝の散歩でバス停を探すことにしました。
ホテルの外見は意外と立派でした。ホテルの入り口には新しい小型車がありました。
ホテルフロントが言う、タクシーはこれだなと思いました。
ガスに掛かった朝の太陽でした。
大通りにでると、兵隊がいて、検問をしていました。
後で分かったのですが、ここはインドとの国境から200mもなく、兵隊たちはインドからネパールに入る車両を検問していました。
ルンビニ行きのバス停を兵隊に聞きました。どこから来たのかと聞かれ、日本からと答える。
写真を撮らせてほしいと言うので、OKすると、兵隊はスマホを取り出し、私と自撮りです。私もお返し?に兵隊の写真を撮りました。
兵隊は2人いましたが、もう一人の兵隊は写真を撮られることを嫌がりました。
ルンビニ行きのバス停はどこかと聞くと、ここだと言います。ルンビニまで約1時間と言います。
丁度その時、ミニバスが来ました。検問を受けていると、バスの運ちゃんがどこに行くかと私に聞きました。ルンビニと言うと、乗れと言います。時間が早かったので、お断りしました。
バス停を確認したので、反対方向に散歩です。
ここは田舎です。のんびりとしています。
なぜか、ネパールに相撲力士の絵看板がありました。日本の力士とそっくりです。
上半身下着姿の中年男性が声を掛けてきました。
ホテルのフロントはほとんど英語ができないのに、この中年男性は英語で話しかけてきました。
外見で人を判断してはいけません。ここはスノウリ(地名)でバスでインドに行くと言います。
インド通貨への両替もできると言います。やっと、自分のいるところが分かりました。
反対側の歩道を、20人くらいの兵隊が駆け足です。2,3人の兵士が遅れ気味について行きます。
ホテルに戻り、朝食です。ミルクティーは美味しい。
さて、出発です。
軍人から寄付の要求:
バス停に着きました。するとさっきとは別の兵隊が声を掛けてきました。しかも、上から目線です。「どこから来たのか。どこに行くのか。パスポートは。ビザは。」と質問してきます。
しかし、検問の雰囲気ではないので、パスポートと聞かれたときに、リュックを指さしました。
パスポートを見せることもなく、この質問は通過です。
更に日本円を持っているかと聞いてきました。その後、我々はあなたたち含めの安全を確保している。お金を寄付して欲しい。このことはボスに言うと言います。この会話を近くに兵隊は聞いていました。半分冗談のような気がしました。
そこで、日本円は持っていたのですが、1USドル紙幣を渡すと同時に、これはネパールと日本の友好のためだと兵隊に言いました。兵隊は笑いました。
その兵隊は他の兵隊に1USドル紙幣を見せました。すると、他の兵隊が「日本円」と言います。
そこで、日本の10円銅貨を見せました。その兵隊は、コインは小銭だからと受け取りませんでした。
これで、お金の話は終わりました。
ルンビニ行きのバスはいつ来るのか、お金を渡した兵隊に聞きました。任せておけと言います。
その時、古い小型トラックが検問のために止まりました。
すると、兵隊はこれに乗れと言います。いくらかと言うと、金は要らないといいます。
小型トラックに乗りました。運ちゃんはいい人でした。ルンビニへの行き方を教えてくれました。
ルンビニ行きのバス停に着きました。ささやかですが、日本のクッキーを差し上げました。
最初は断っていましたが受け取りました。
ルンビニと表示してある大きな門の前がバス停です。中型バスが沢山止まっています。
ルンビニ行きのバスに乗り込みます。15分後バスは出発しました。バスのフロントガラスの前にはヒンズー教の神様を飾っていました。
バスは混んでいたので後部座席になりました。
1時間ほど過ぎると、賑わいのある場所に差し掛かりました。
仏陀の生誕地を後部座席の男性に聞くと、その男性の奥さんらしい人がまだ先だと言います。
少し進んだ後、前座席の男性がここだと指差しくれました。バスを降りました。
お釈迦様生誕の地ルンビニに到着:
ここは広い公園の入り口です。ここに仏陀生誕地があります。
真っすぐの道を行きました。暑くなってきました。
やっと門にたどり着きました。ここが仏陀生誕の地の入り口です。
入場料金を払うと、靴をちょっと離れたところに置いてから、入れと言います。
敷地内は土足厳禁です。
言葉は全く通じません。でも、分かります。これが靴置き場です。殆どがサンダルです。
私の靴はジョギングシューズ、この中では最も値が高いと思います。ちょっと心配になりました。
そこで、靴をリュックに入れました。
そして、入場門を通過しようとすると、荷物チェックです。係員は靴を発見しました。
靴は持ち込み禁止です。中年女性係員に、誰かが私の靴を持って行かないか、と言いました。
思いは通じました。中年女性係員は、ニコッとして監視員ブースの下を指しました。
ブースの中には監視員が1人いました。
そのブースは地上から50cm程、高く設置されていて、ブース下は空間です。
この空間に置けと言っています。そして、私が靴をいつでも監視できると言う素振りをします。
仏陀のご母堂様が出産前に沐浴をされたと言う池に隣接した白い建物がありました。
白い建物の前でお経を唱えている、お坊さんをリーダーにしたグループがいました。
この白い近代的な建物の中にお釈迦様生誕の地があります。
建物内は撮影禁止です。薄暗く思える建屋内の中心に、赤煉瓦で作られた壁の住居跡がありました。
屋根はありません。壁の高さは1mもありません。
その一角が透明アクリル板で覆われていて、ここがお釈迦様生誕の地です。
この前でご高齢の婦人がお経を唱えていました。
白い建物の外には大きな香炉がりました。
大きな菩提樹があり皆さん礼拝をしていました。
静かな公園内、日差しは強いのですが木陰に入ると風もあり心地よいです。
お坊さんが話しかけてきました。このお坊さんはタイから来たと言います。
世界のお寺:
この公園には各国のお寺があります。そして公園は広い。靴を受け取り、日本のお寺を目指します。
ドイツ寺もあり、沢山ありましたが、これらの見学は程ほどにして、日本寺を探します。
でも、案内図に日本寺がありません。寺を観光している、西洋人に聞くと公園の外にあると言います。
確認のため、途中で出会った、子供の僧に日本寺を聞きましたが言葉が通じませんでした。
多くの子供たちが修行をしているようです。
更に歩き、入った門とは反対方向の別の門から公園を出ました。暑いです。
体がきつくなってきました。しばらく歩きましたが、何もありません。
後、5分歩いて、発見できなかったら帰ることにしました。
日本のお寺発見:
看板がありました。日本の寺の看板です。
数人の観光客がいました。日陰で休憩です。30分程休憩しました。
行き先を叫んでバスに乗る:
帰路に着きます。
ここから、道を戻るのはしんどいなぁ。公園の前の道に出て、バス停を聞きました。
この通りにバス停があるようです。でも、この道を歩いている人はいません。
そのバス停は、降りたバス停より、近いかもしれないと思い歩きはじめました。
歩く方向は宿泊地に向かう方向ではありません。
公園は四角になっているだろうから、その角を曲がれば宿泊地の方向です。
でも、公園は意外と大きく、なかなか公園の角が見えません。
その時、叫び声がしました。振り返ると、ミニバスから乗り出した人が何かを言っています。
こちらも、行き先を叫びました。すると、ミニバスは私の前で停止しました。
再び、行き先を言うと、乗れと言います。多分、これがこの地方でのバスの乗り方です。
バス停でなくてもバスに乗ることができます。
バスは満員でした。バス乗務員が客に席を詰めろと言い、運転手席の後ろの長椅子のような座席が50cm程度空きました。
青年人力車は釣りがなく:
バスが終点に着き、バスを降りました。ここからホテルまで人力車で行くことにしました。
人力車の年配運ちゃんにホテル名を見せるとOKと言います。
すると、青年が近付いてきて、年配運ちゃんと話します。
結局、青年運ちゃんの人力車で行くことになりました。道は良くなく、段差もあります。
青年運ちゃんがホテルを指差します。青年運ちゃんはホテルを勘違いしているようです。
青年運ちゃんも通行人に道を聞き、再び出発です。
青年運ちゃんとは言葉が通じず、会話ができません。
やっと、運賃が分かりましたが、お釣りがありません。
その時、30歳代の婦人が通りかかり、会話に割り込んできました。
その後、2人の婦人と子供連れの1人の婦人が加わりました。
婦人たちは運転手と会話しています。最初は運賃が高いことの会話らしく、運賃が下がりました。
そして、私が紙幣(1000円程度)を出しました。
すると、一人の婦人が500円札2枚を出してくれました。交換しました。でも、お釣りがありません。すると、別の50歳くらいの婦人がその500円札一枚を掴み、去りました。
10分ほどしても、その婦人は戻ってきません。
子供を連れ添った婦人は、子供に見て来いと言ったようです。
子供が婦人の去った方向に向かうとしました。その時、婦人が戻ってきました。
婦人は手に100円札に持っていました。500円札から100円札への交換です。
これで、支払いができました。
この間、婦人4人と子供一人はその場にずっといました。
ホテルの厨房は屋外:
夕食はホテルのレストランで取りました。ホテルの厨房は屋外にありました。キャンプのようです。
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