中国からパキスタン 4700m峠越え(4)

アジア

概要:

草木のないクンジュラブ峠を越え、パキスタンのフンザに到着しました。
フンザ、緑が生い茂るここは桃源郷のようでした。

フンザ到着&ホテル

緑がなく生気のない周囲の中の道路を走り、到着したのは緑一杯のフンザです。
それまでの景色と比べると、まさに桃源郷でした。

ホテルは厳しい山々を展望できる良い場所にありました。
ホテルは時間制限の温水シャワーがありました。
と言っても、その時間に温水がでるとは限りません。まず、コックを開けて、温水を確かめます。
温水が出るとラッキーと思い、感謝です。


ホテルのテラスから山を見ると、虹がかかっていました。

周囲に7000m以上の山々が厳しくそびえたちます。

ホテルの隣部屋の人はテラスにカメラを2台設置し、シャッターチャンスを伺っていました。  
しかし、山頂付近の雲は激しく動き、晴れ間はなかなか訪れません。

山々に囲まれた緑一杯の地がフンザです。

夕食:

夕食です。 ホテルの食堂に行きました。
ビールはありますかと聞くと、シーズンオフだからないと言います。
今日は暑いのにと言うと、笑っていました。
パキスタンがイギリス植民地であった頃、ビール工場ができました。
今でも稼働していて、入手できるとネットにありました。
でも、パキスタンはイスラム教国です。公にビールを飲むことはできないようです。

朝の散歩:

ホテルは目抜き通りの入り口にありました。
数少ない商店は朝なので開店前です。
登校する生徒が学校に向かいます。

店の看板はありませんでしたが朝食をとれそうな店がありました。
青いガスボンベが入り口にあります。

これを使い生地を引き延ばし、鉄板で焼きます。

少し、塩気が効いたシンプルな味です。

店のコックのおじさんは、店の前を通る、小中学生に朝の挨拶の声を掛けます。
この地域の雰囲気が伝わってきます。
朝食後、更に道を行きます。

長谷川スクール

ここには、ここを拠点に多くを登山し、雪崩で亡くなった、登山家の長谷川氏の遺族の基金で設立された、小中学校である、長谷川スクールがあります。

途中で一緒だった日本の大学生は、朝、見学に行ったら、朝礼スピーチを頼まれたと言っていました。
英語が得意ではないので、冷や汗をかいたとか。
私が行った時間は開校前でした。

バルチットフォート(要塞):

つい最近までここにあった、小さな王国の要塞です。
19世紀、イギリスはロシアの南下を警戒し、この地方を、国王を通し、支配しました。
20世紀まで、国王はこの要塞に居住していました。
そして、王国はチベットからお妃を迎えています。

2つの要塞は約4Km離れています。徒歩による観光としては、丁度良い距離です。
最初にバルチットフォートに向かいます。

バルチットフォートは高台にあります。
上り坂を歩きますが、息が少し苦しい。ここは標高3000mです。

たわわのリンゴ?の樹木がありました。豊かな土地です。

バルチットフォートに着きました。

小さな要塞です。入場料を支払います。
要塞の中から、村の全貌を見ることができます。

チベット文化に影響された部屋のつくりと言います。

この要塞から、次に行く要塞を見ることができます。

次の要塞に向かいます。 途中の昼食は少し味気なかった。

アルチットフォート(要塞):

次の要塞である、アルチットフォートに向かいます。
ほとんど人に会いません。

ここにも沢山のリンゴです。

アルチットフォートが近づいて来ました。

小学生の案内:

分かれ道がありました。
小学4,5年生の男の子がいたので、要塞はどっちのどちらの道か尋ねました。

すると、「This way」といいます。分かれ道があるごとに「This way」です。
要塞の入場券売り場に着きました。
入場券売りの老人はこの小学生に何かを言いました。小学生はニコニコして去っていきました。

これは下に見えた地元民の住居です。パキスタン人グループ観光客のガイドが話しかけてきました。
日本には感謝している。近くの住宅の電気、水道は日本の援助でできたと。

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