概要:
草木のないクンジュラブ峠を越え、パキスタンのフンザに到着しました。
フンザ、緑が生い茂るここは桃源郷のようでした。
フンザ到着&ホテル
緑がなく生気のない周囲の中の道路を走り、到着したのは緑一杯のフンザです。
それまでの景色と比べると、まさに桃源郷でした。
ホテルは厳しい山々を展望できる良い場所にありました。
ホテルは時間制限の温水シャワーがありました。
と言っても、その時間に温水がでるとは限りません。まず、コックを開けて、温水を確かめます。
温水が出るとラッキーと思い、感謝です。
ホテルのテラスから山を見ると、虹がかかっていました。
周囲に7000m以上の山々が厳しくそびえたちます。
ホテルの隣部屋の人はテラスにカメラを2台設置し、シャッターチャンスを伺っていました。
しかし、山頂付近の雲は激しく動き、晴れ間はなかなか訪れません。
山々に囲まれた緑一杯の地がフンザです。
夕食:
夕食です。 ホテルの食堂に行きました。
ビールはありますかと聞くと、シーズンオフだからないと言います。
今日は暑いのにと言うと、笑っていました。
パキスタンがイギリス植民地であった頃、ビール工場ができました。
今でも稼働していて、入手できるとネットにありました。
でも、パキスタンはイスラム教国です。公にビールを飲むことはできないようです。
朝の散歩:
ホテルは目抜き通りの入り口にありました。
数少ない商店は朝なので開店前です。
登校する生徒が学校に向かいます。
店の看板はありませんでしたが朝食をとれそうな店がありました。
青いガスボンベが入り口にあります。
これを使い生地を引き延ばし、鉄板で焼きます。
少し、塩気が効いたシンプルな味です。
店のコックのおじさんは、店の前を通る、小中学生に朝の挨拶の声を掛けます。
この地域の雰囲気が伝わってきます。
朝食後、更に道を行きます。
長谷川スクール
ここには、ここを拠点に多くを登山し、雪崩で亡くなった、登山家の長谷川氏の遺族の基金で設立された、小中学校である、長谷川スクールがあります。
途中で一緒だった日本の大学生は、朝、見学に行ったら、朝礼スピーチを頼まれたと言っていました。
英語が得意ではないので、冷や汗をかいたとか。
私が行った時間は開校前でした。
バルチットフォート(要塞):
つい最近までここにあった、小さな王国の要塞です。
19世紀、イギリスはロシアの南下を警戒し、この地方を、国王を通し、支配しました。
20世紀まで、国王はこの要塞に居住していました。
そして、王国はチベットからお妃を迎えています。
2つの要塞は約4Km離れています。徒歩による観光としては、丁度良い距離です。
最初にバルチットフォートに向かいます。
バルチットフォートは高台にあります。
上り坂を歩きますが、息が少し苦しい。ここは標高3000mです。
たわわのリンゴ?の樹木がありました。豊かな土地です。
バルチットフォートに着きました。
小さな要塞です。入場料を支払います。
要塞の中から、村の全貌を見ることができます。
チベット文化に影響された部屋のつくりと言います。
この要塞から、次に行く要塞を見ることができます。
次の要塞に向かいます。 途中の昼食は少し味気なかった。
アルチットフォート(要塞):
次の要塞である、アルチットフォートに向かいます。
ほとんど人に会いません。
ここにも沢山のリンゴです。
アルチットフォートが近づいて来ました。
小学生の案内:
分かれ道がありました。
小学4,5年生の男の子がいたので、要塞はどっちのどちらの道か尋ねました。
すると、「This way」といいます。分かれ道があるごとに「This way」です。
要塞の入場券売り場に着きました。
入場券売りの老人はこの小学生に何かを言いました。小学生はニコニコして去っていきました。
これは下に見えた地元民の住居です。パキスタン人グループ観光客のガイドが話しかけてきました。
日本には感謝している。近くの住宅の電気、水道は日本の援助でできたと。
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