中国からパキスタン 4700m峠越え(1)

アジア

中国西域のカシュガルからタシュクルガンを経由し、クンジュラブ峠を越え、桃源郷フンザへ、
ラワルピンジからガンダーラの地タキシラへ。2016年8月。

1.旅の目的:

玄奘三蔵は、西暦629年、28歳の時、中国を密出国して、シルクロードを通り、天竺(インド)に向かいました。
その目的は、中国にあった仏教経典では物足りず、インドにある仏教原典を確認するためでした。
玄奘三蔵とは、私の小さい頃の愛読書だった西遊記に孫悟空とともにでてくる三蔵法師のことです。

クンジュラブ峠。シルクロードの一部であった、中国とパキスタンとの国境である峠です。
峠はヒマラヤ山系にあり、標高4700mです。
その標高のため、通行可能なのは4月から10月の間のみです。
世界第二の最高峰K2が近くにあります。

シルクロードと玄奘三蔵に興味のある私は、この峠を越えて、中国からパキスタンに入る計画を立てました。

クンジュラブ峠を越え、しばらく行ったところに桃源郷と言われるフンザも予定に入れました。

加えて、ギリシャ地方から出征したアレキサンダー大王により、西洋と東洋の文化が融合した、
パキスタンのガンダーラ地方を訪問することにしました。

2.旅の準備;

パキスタン入国にはビザが必要です。申請手数料は、なんと、まぁ、100円です。
インターネットでフライト、できる範囲の宿泊先を予約しました。

ルートは、中国成都経由でカシュガル(1泊)。
カシュガルから国境の町、タシュクルガン(1泊)に移動します。
クンジュラブ峠を越え、パキスタンに入り、フンザで2泊。
キルギット(1泊)経由、首都イスラマバードの隣のラワルピンディで3泊。
ラワルピンディの近くのタキシラでガンダーラ美術を見ることができます。

3.カシュガルへ、標高1300m:

20時30分成田発の四川航空で、成都に到着したのは0時40分。
次のフライトが朝の8時なので空港ロビーで一泊しました。
空港ロビーには何人かの泊り客がいました。

成都空港がきれいでよかった。

成都からカシュガルまで6時間ちょっと。
そんなに遠くないはずなのにと思ったら、ウルムチ経由でした。

カシュガルは中国西端の新疆ウイグル自治区にあります。
日本と同じ面積の広大なタクラマカン砂漠の北端、南端を通るシルクロードである、天山南路と西域南路が交わる、交通の要衝です。
多数派は漢民族ではなく、イスラム教徒であるウイグル人です。

30年以上ぶりのカシュガルです。
当時は、ロバが荷車を引く、馬車が多数往来し、テレビで見るシルクロードそのものでしたが、今は近代化されています。

ホテルは旧市街にあります。
近代的な空港、新市街とは、対照的な旧市街に入ります。
門をくぐって入る、旧市街は、隔てられている雰囲気です。

カシュガル空港:

カシュガル新市街。

カシュガル旧市街:

旧市街の入り口です。

旧市街を囲む、壁です。

泊った、旧市街のホテルはホテルと言う感じがしません。
シルクロードに活気があったとき、繁盛した宿場の感じを残しています。

そして、その周辺は、アラビア語に似たウイグル語の看板、標識。
ウイグル帽子をかぶり、パン作りに汗を流す人々。
原色のカラフルな矢絣をまとった女性、尖塔など。
ここは中国であっても、中国ではありません。

イスラム寺院が見えます。

商店:

パン屋さんです。

ウイグル帽、ウイグル服のお店です。

宿泊したホテルの隣は鍛冶屋さんでしたが、後でお世話になりました。

次の日、朝食用のパンを買いました。まだ温かい、少し塩気のある、硬めのパンでした。
冷めるとこれが石のように固くなり、このままで食べることは難しいと感じます。

30年前にもあった西瓜売りです。

ウイグル文様である矢絣で装飾されたお店です。

イスラム建築:

ウイグルの人々:

ウイグル帽の老人たちはたむろして、談笑です。

子供たちはサッカーです。

これは新婚さんの車です。

電動バイク:

この町はバイクが多いのですが、とても静かです。
よく見ると電気駆動です。

新車バイクがありました。ロゴを見ると、YAMAHAに似ていますが、YAMAHAではありませんでした。

タシュクルガンに移動するための:

次の日の移動のためのバス停の場所をホテルで確認します。しかし、英語が全く通じません。
インターネットに接続はできますが、グーグルには接続できません(中国ではグーグルが使えません)。

そして、ややっこしいことに、ここでは、北京時間と現地時間の2つがあります。

結局、隣のウイグル人鍛冶屋さんと話すことになりました。このウイグル人は英語が話せます。
パキスタンとの国境の町、タシュクルガン行きのバス停への行き方を聞きました。
ウイグル人鍛冶屋さんは、タクシーで行くことを勧めます。
そして、タクシードライバーはほとんどがウイグル人なので英語はもちろん、中国語も通じないと言います。

そこで、ウイグル人ドライバーに見せるため、紙を差し、バス亭の名前をウイグル語で
書いてもらいました。
でも、ちょっと長い文章です。その内容はバス停の名前だけではないようです。

夕食:

時間は少し早いのですが、夕食です。

店は閑散としていました。文字メニューを見ても、分かりませんので、店の壁にある、写真メニューから食べられそうなものを注文しました。

お客も少なかったせいか、店の半袖白衣のウイグル人コックが話しかけてきました。
と言っても、言葉は通じません。
コックはティシュペーパーに国旗を描き、アメリカ、ヤポン(日本)と言います。
これで30分以上たちました。

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