【北アフリカの旅】アルジェリア~②~

アフリカ

ガルダイア到着:

ガルダイアはムザブの谷と呼ばれる地域にある5つのオアシスの1つです。

住人はベルベル人です。
ベルベル人は主に北アフリカに居住するコーカソイド系の混血民族と言われています。

フランスのサッカー代表のジダンはベルベル人です。

ベルベル人の王朝はいくつか建国され、現在のスペインの一部を支配した時代もありました。

ムザブの谷のベルベル人は主流ではないイスラム教徒であり、迫害を逃れ、この地に流れ着いたと言われています。
現在のガルダイアの人口は14万人です。

ガルダイアに着いたのは、定刻の午後8時過ぎでした。小さな空港は暗闇の中です。

荷物が出てくるまで、少し時間がありました。
すると、「Mr. 〇〇〇〇」と書いてある、ボードを持った中年男性がいました。
ホテルに依頼していた、ホテルまで送ってくれる運転手でした。
荷物を受け取り、ホテルに向かおうとしました。

すると、警官が声を掛けてきました。私が旅行者であることが分かったようです。
パスポートを渡しました。警官はパスポートを見て、メモしていました。
そして、中年男性と話しました。恐らく、宿泊場所もメモしたのでしょう。
空港内でのチェックはこれで終わりました。

車に乗り、ホテルに向かいます。運転手は英語ができないようで、20分間、無言でした。
街中を通ったようですが、大混雑です。
舗装していない道を、すれ違う車との距離が数10cmです。
人はすれ違う車の隙をぬって行き交います。

幌のある軽トラに乗った、数人の全身白装束の女性たち。これが噂の中世のままのモスリム達なのか。

宿泊地と夕食(ザガリート):

宿泊地は町の中心から少し離れていました。高い壁に囲まれていました。
扉を開けて、車を駐車します。

PCがある、小さな机がフロントでした。カジュアルな格好をした青年がいました。
鍵を受け取り、部屋に向かいます。部屋は2階建て別館の1階でした。
ホテルは食堂兼従業員の住まいが、1つの建屋になっているようでした。
従業員全員は親族のようでした。

清潔感のあるベットが2つある、エアコン付きの部屋です。家族でも使用できます。

荷物を置いて、食堂に行きました。靴を脱ぎ、食堂に入ります。

食堂は絨毯が敷かれ、いくつかのテーブルと足のない背の低い椅子がありました。
3家族が食事をしていました。

メニューは決められたコース料理でした。サラダ、スープ、鶏料理です。
これが一人前。かなり量が多いです。

食事をしていると、バンジョーに似た楽器を持った中年男性が入ってきました。
エンターテイメントです。歌が始まりました。

アルジェリアの音楽のようです。お客さん全員の手拍子が始まりました。
一旦両手を後ろに引き、前に戻し、両手を叩く手拍子でした。

突然、中年女性のお客さんから甲高い声で、ヨーデルのような、掛け声です。
更にその娘さんと思われる人も続きます。

これは、ザガリートと言って、アラブ人女性の喜びの表現であり、おめでたいイベントなどでやるようです。

朝の散歩:

宿泊地内、ホテル周辺を散歩です。
泊まった部屋は2階建屋の1階でした。

敷地内には、キャンプ形式で宿泊できる施設がありました。

宿泊地は4,5mの白い塀に囲まれていました。熱帯らしく、ホテルの庭にはヤシの木があります。

通りに出ると周辺の家も壁に囲まれていました。

そして、正体不明の土色の窓のない建物です。

向こうから黒人が来ました。すれ違う時に私を見て、何か言いました。

「何だろう」

その後、また黒人が来ました。また、私に向かってなにかを言っています。

そうか、朝の挨拶なのか。見知らぬ人でも挨拶をするようです。
この人たちは、ビザ、パスポートもなく出稼ぎに来ていると運転手が言っていました。

宿泊先に戻り、朝食です。パン、ジャム、チーズとジュースでした。

イスラムの墓地:

宿泊先に依頼した、運転手付きの車でツアーします。
最初に向かったのはイスラム教の墓地でした。
墓地は見晴らしの良い場所にある、白い建物でした。

写真の、股上の深いパンツをはいた男性はドライバーです。

墓石はありません。壺のような陶器、石が少し整然と置かれていました。
この石1つが一人の墓地のようです。

墓地から街が一望できます。

絶景ポイント:

街全体が見える絶景ポイントに行きます。
街はまさにオアシスです。荒涼の大地のこの地域だけに民家が密集しています。

街のほぼ中央には尖塔があります。すべての民家の窓は小さく、土色の壁です。

市場:

街の中心にある市場に向かいます。
街には意外と新しい車が多かった。タクシーもありました。

車が多い中、ドライバーと同じ、股下の深いパンツをはいた、ロバの乗ったご老人がいました。

道を行き交う男性の多くはその服装からモスリムを感じませんでした。

広場から広がる道も商店街です。

時間も過ぎて、昼食時となりました。
ドライバーに連れられてレストランに入りました。店内の窓は小さく、明かりがともっていました。
食事メニューは、サラダ、ポテトと多分羊の肉です。
美味しくいただきました。

ガルダイアの住宅街:

ガルダイアの住宅街に入ります。

住宅街の運搬にロバが大活躍です。

先に進みます。

狭い路地、階段、一歩、中に入るとそこは迷路でした。

窓はほとんどありません。

壁は芯材が木の土壁のようです。外気は遮断され、窓の少なさと合わせ、砂漠の暑さ対策です。

ミナレットと呼ばれる尖塔には拡声器がありました。
ここから、時間が来ると、男性の響きのある声の歌のようなコーランが聞こえてきます。

共同の水道です。水は十分にあるようです。

子供たちは元気です。

子供たちはサッカーです。場所は狭くても、ボール1つあればできます。

おめかしして、お祝い事でもあるのかな。

白装束の4人のご婦人です。運転手は女性の写真を撮ってはいけないと言いました。
彼女たちは片目しか出していません。この様なご婦人を多く見かけました。
目が合うと、少し異様な感じです。

女性モスリムはその服装を選ぶことができるとのこと。白が流行しているようです。

NYLON:2つ目のオアシスで。新しい日本

ガルダイアは5つのオアシスがあり、それぞれ集落を形成しています。ここ以外に2つのオアシスを観光しました。

オアシスに入るには入場料が必要でした。そして、ガイド付きでした。
恐らく、外国人はガイド無では入ることができないのでしょう。

2つ目のオアシスのガイドは、世界中を旅したと言う、片耳のないご老人でした。
ご老人は英語で大戦後に日本が言われた、「NYLON」を知っているかと尋ねてきました。
知らないと言うと、紙に何か書きました。
「NYLON」、それは「Now you loose old Nipon」でした。戦争に負けて、新生日本誕生かな。

このご老人が小さなオアシスを案内してくれました。
見学が終わると、気持ちで良いからチップが欲しいと言うので、弾んで、約1000円渡しました。

3つ目のオアシス:

ここでは30歳代の体格の良い男性がガイドでした。英語も上手でした。
このオアシスがどのように発見されたのか聞きました。オアシスにはヤシの木がつきものです。
ヤシの木は、その根が垂直に伸びるそうです。
ヤシの木の種を植えて、育てばそこの地下には水があることになるそうです。
でも、根を出すまでが大変そうです。

ヤシの木があります。これで地下水を発見できた。

恐らくこれは雨水捕集の施設です。
白い施設に捕集された雨水は手前の水路を下ると思います。

こじんまりとした展示場がありました。展示品はここで使われている生活用品です。

酪農?:牛、やぎ、らくだ

ここでは、牛、ヤギ、ラクダを飼育していました。
砂漠のオアシスで酪農をしているのに驚きました。緑多い風景もオアシスとは思えません。

やぎ?

らくだ

夕食(子供の踊り):

さて夕食です。
昨日と同じ、宿泊先のレストランです。エンターテイナーも昨日と同じです。

宿泊者が変わり、子供もいました。子供は演奏者の隣に座り、家族のような雰囲気です。

別の子供が踊りだしました。
ティッシュペーパーを両手に1枚ずつ持っての踊りです。
大人たちは手拍子で楽しんでいます。

イスラム教の国ですので、アルコールは一切ありません。飲み物は水です。  

早朝のフライトで:

早朝のフライトでアルジェに向かいます。

空港のロビーにはサッカー選手の大看板です。

ここで朝食のピザをとりました。

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