【ヨーロッパの旅】イタリア・シチリア島~③~

イタリア

パレルモからシラクーサへ:

この旅のハイライトのシラクーサに向かいます。
古代ギリシャ時代、ギリシャ植民都市シラクーサはスパルタと組み、アテネ軍を迎え撃ち、勝利しました。
パレルモからシラクーサへバスで活火山エトナ山越えです。

エトナ山は今年3月(2017)、突如、噴火し、けが人も出ました。周辺越えは結構な山道でした。
崖っぷちの一車線が多く、ここで対向車が来たら、運転手の腕を信じるしかないと思いました。

エトナ山から噴煙が上がっていました。

シラクーサのバス停に到着しました。
9月中旬でしたが、夏を感じました。ヨーロッパらしい町並みを歩き、宿泊先である民泊のあるオルテージャ島に向かいます。

本島とオルテージャ島は長さ100m程度の橋でつながっています。橋の周辺には、ボートが停泊し、観光地の雰囲気です。

オルティージア島は周囲4kmの小さな島ですが、紀元前8世紀からの歴史を持ちます。

橋を渡ると、ギリシア時代のアポロン神殿跡がさりげなくあります。

民泊へ:

民泊の住所は事前に入手しましたが、良く分かりません。

さて、宿泊先を探します。宿泊先は民泊です。何人かに、民泊の住所を見せ、道を聞きました。
その付近まで、行くことはできましたが、なかなかたどり着きません。
路地に入り、開店前のレストランのオーナーらしき、40歳くらいの男性に聞きました。
とても親切でした。オーナーは店の若い人に一言言って、店を出ました。
この人も場所を知りませんでしたが、その方向に一緒に向かってくれました。
この人が通りがかりの通行人に場所を聞いてくれました。そして、民泊に着きました。
民泊はこのレストランのある通りで、レストランから100m位のところでした。

民泊している間、このレストランの前を何度か通ったのですが、いつもお客さんがほとんどいませんでした。
家族で頑張っているようでした。

この民家の引き込み路地入り口のミラーの下に、小さな看板がありました。

この民家の一角が民泊です。民家入り口にゲートがあり、インターホンがありました。
レストランオーナーはインターホンで呼び出してくれました。感謝です。
そして、民泊のオーナーである、55歳くらいの女性と面会しました。
階段を上り、部屋に着きました。シャワー付きの部屋はとても清潔で、広く、気に入りました。

海水浴:

話を聞くと、歩いて5分もしないとことに海水浴ができる場所がありました。
早速、水着に着替え、海水浴場に向かいました。
この海水浴はビーチではありません。岩場に20m四方の木の足場があります。
ここで、日光浴をする人、この足場に海面に降りる階段があり、ここから降りて、泳ぐ人。
皆さん楽しんでいました。
9月下旬に差し掛かろうとしていましたが、水温も快適でした。
もしかしたらと思い、日本から水中メガネを持参していました。
4,5mの深さで、魚もいました。
ここに4泊したのですが、毎日、海水浴を楽しみ、民泊に帰りシャワーを浴びました。
観光後、地中海での海水浴は最高の満足でした。

島にはビーチはなく、島全体が海水面から5~10m位の高さにあります。
要塞がかった、雰囲気があります。敵からの防御を考えていたのでしょう。

オルティージャの民泊:

少し民泊について、お話しします。
シラクーサ・オルティージアの民泊は、まさに期待していた民泊でした。
部屋は2階でした。オーナーは3階にいます。
宿泊初日の朝は少し遠出をしたため、ここでの朝食は取りませんでした。
その日、帰ると、いくつかのクッキーとともに“明日の朝食は如何なさいますか”のメモ書きがありました。
翌日はここのテラスで朝食を取りました。
普通の朝食でしたが、雰囲気を感じて、とてもおいしくいただきました。

オルティージャ島の街:

島の中心にドーモ広場があり、とても立派な教会があります。
妖精が神に追われて泉になったと言うギリシャ神話のアレトゥーザの泉がありました。
物語を知らなければ通り過ぎてしまいそうな。
大通りは広いのですが、路地は狭いです。でもこの狭さが暖かいです。

ドーモ広場の一角にあるルチア教会。

シラクーサ大聖堂:

女神アルミテス像とアレトゥーサの泉:

アルキメデス広場にある女神アルミテス像の噴水があります。

女神アルテミスに従えていた、美女アレトゥーサは、アルペイオス河で水浴びをしていました。
その時、アルペイオス河の神のアルペイオスはアレトゥーサを見初めました。
アレトォーサは逃げてアルミテスに助けを乞いました。
アルミテスはアトレトゥーサを水に変え、大地を叩きました。
その結果できたのが「アレトゥーサの泉」です。
四方を海に囲まれた小さな島、オルティージア島ですが、噴水は真水です。

島の周囲は道路となっています。本島からの道には堅固な門があります。

大通りは広いのですが、脇道の幅は狭いです。

夕暮れと夜:

夕暮れになると、白熱灯の灯がともります。水銀灯の光とは異なる白熱灯の光は雰囲気を醸し出します。

横道を見ると、白熱灯の明かりと、日没後の青味を残した空のコントラストに愕然としました。

バンゴッホの絵が脳裏をかすめました。

日の出、日の入

そして、シチリア島の突端にあるオルテージャ島では、人工物が遮らない日の出、日の入りを見ることができました。

民泊側の海では日の出です。その時、最初は朝焼けでした。

その時、板の上に立ち、パドルをこぐ、パドルボートが行きすぎました。

翌日の日出です。

日の入りです。

島での食事:

オルテージャ島のもう1つの楽しみは食事でした。
初日、民泊で紹介のあったレストランに行きましたが、満席でした。別のレストランにしました。

翌日、昨日満員のレストランの開店30分前に行きました。しかし、店内は予約で満席でした。
店外にテーブルが置いてありました。ここは予約なし、先着順と言うことでした。
店外テーブルに座り、開店を待ちます。

この人気レストラン周辺は人が集まります。ストリートミュージシャンが演奏を始めました。
聞いていると、演奏後、ニコニコしてこちらに来ました。チップの催促でした。

次の日の夕食時、3人組の街角ミュージシャンがレストランに入ってきました。
演奏はイントロだけで、チップを要求してきました。「ソーリー」。断りました。
他の客もチップを断り、3人組街角ミュージシャンは早々にレストランを出ていきました。

シラクーサ滞在中の食事はすべてあたりでした。
海鮮物は新鮮で、スパゲッティがうどんに近いような太さでした。
ワインの味は良くわかないのですが、でも、ここのワインはとても美味しいと思いました。

レストランへの道を聞いた40歳くらいの男性に、翌日会いました。
向こうから、親指を上に向け、味は良かったかのしぐさです。
味は良かったので、こちらも親指を上に向け、グットのサインです。

もう一人のミュージシャン:

もう一人のミュージシャンに出会いました。人気のない大通りで、小学校高学年の女の子です。
椅子に座り、アコーデオンの演奏です。その前にチップ入れのカップです。
2日続けてその前を通りました。チップを入れると“グラッセ”。
2日目は、向こうが気が付き笑顔で会釈、コインを入れました。

ギリシャ劇場:

岩盤をくり抜いて建造されたと言う、ギリシャ劇場はシチリア本島にあります。バスで行きました。

民泊の近くのバス停からの直行便はありません。

バスターミナルを目指します。

バスに乗りました。バスがオルティージャ島の出口に来ましたが、おっと、島を出ません。
結局、島を2周して、島を出ました。

ギリシア劇場は、石灰岩の丘をくり抜いて建造されたと言います。
この時代の石灰岩をくり抜くと言うアイデアが驚きです。
巨大な劇場を造るだけの石灰岩の大きさをどのように推測したのでしょうか。

当時の人口は5万人と言われていすが、劇場の収容人数は人口の約1/3の1.5万人です。
建設には莫大な費用が掛かったと思います。
ギリシャ人は劇場で演劇を楽しんだそうですが、演劇鑑賞はそれ程重要なことだったのでしょう。

古代ローマ人は各地に石造りの大浴場を建設していますが、これとにたようなことなのか。

そして、劇場頂上には2m程度のほこらがあり、水が流れています。憩いの場所のようです。
この水はどこから来ているのでしょうか。

ディオニュシオスの耳:

ギリシア劇場の近くに「ディオニュシオスの耳」があります。

当時、ここから建築用の石を切り出していました。
その後、ここは天国の石切り場と名付けられました。
牢獄にも使用された、この場所は音響効果もよく、観光客の一人(多分、イタリア人)が声を張り上げました。
張り上げ声は最後、失速しましたが、拍手がありました。

涙の聖母像:

1953年、マリア像が涙を流し、多くの病人を救ったことから、1996年に完成した教会です。
古都シラクーサの近代的建築物です。

コンテストで選ばれた、フランス人建築家の設計です。
講演会場のような、一般の教会とは異なる配置でした。

ステンドグラスはなく、フレスコ画がありました。

教会の外には、緑の枝を大きく広げた木がありました。

パオロ・オルシ博物館:

ギリシャ時代の多くの遺品がありました。

これまでのギリシャとは異なるイメージのユーモラスな彫刻もありました。

ライオンをモチーフにしたものがありました。当時からライオンは百獣の王だったようです。

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