【ヨーロッパの旅】イタリア・シチリア島~①~

イタリア

これは2015.09.18.~09.27.のイタリア・シチリア島の旅です。

旅の目的:

日本人に、シチリア島(シシリー)と言うと、多くの人はイタリアギャング映画のゴットファザーをまず思い浮かべると思います。今でも、ロケ地が観光名所になっているようです。

意外と言ったら、現地の人に失礼かもしれませんが、理科の教科書にも出て来る、あのアルキメデスはこの島の出身なのです。

地中海のこの島は、イタリアとチュニジアの間の、イタリアに隣接しています。
四国の1.5倍の大きさがあります。
気候はよく、豊かな大地です。ヨーロッパ最大の活火山である、エトナ火山があります。

世界一、多くの民族に支配された島でもあります。

古代ギリシャのアテネが最盛期の頃、シチリアのシラクーサはアテネと張り合うギリシャ都市でした。
当時の人口は、アテネと並ぶ、数万人の人口規模でした。

ギリシャの後は、中東のレバノン付近からチュニジアに移住したフェニキア人が建国したカルタゴ。
カルタゴはローマ帝国に敗れ、その後、ローマ帝国の一部となります。
そして、イスラム教国となったチュニジアからのアラブ人に占領されました。

そして、北欧から来たノルマン人、いわゆるバイキングがフランスに建国したノルマン人が来ました。
神聖ローマ帝国、フランス、スペイン、オーストリア(パフスブルグ家)、イタリアと支配者が目まぐるしく変わります。

ローマ帝国時代、シチリアは「帝国の穀倉」と言われ、豊かでした。

イタリアの支配時代、イタリア中央から遠かった。
そのため、島では、独自の警察組織みたいなものができました。

シチリアが最も輝いた時代はイスラム支配後のノルマン人が支配した時代であったと言われています。

当時のイスラム世界は世界最先端の学問を持っていました。
イスラムの灌漑などの農業技術、医学、天文学などがシチリアにもたらされました。

その後のノルマン人支配の時代、ノルマン人はイスラム教徒を排除せず、共存しました。
ノルマン時代の宮廷では、キリスト教徒、イスラム教徒、ギリシャ正教教徒が書記官として働いていました。

その結果、世界最先端のイスラム学問がヨーロッパに伝わることになりました。

旅の準備:

今回の旅行で初めて民泊を利用しました。

世界的な民泊システムAir B and B(通称Airb)があります。
存在は知っていたのですが、今回初めての利用です。

このサイトを利用するためには、登録が必要です。

さて、登録です。
情報をインプットしていくと、突然、PCのカメラが作動しました。
これは顔写真登録ための、撮影操作でした。

AirBで予約、宿泊後、宿泊に関しコメントすると、この顔写真とともにコメントが掲載されます。

このコメントは、宿泊先を決める重要な情報です。
どこの国の人が何を言っているのか。結構、辛口コメントもあります。
その多くの場合は、オーナーがこれに対し、コメントしています。
泊まる人のコメントで、人気が左右される、よいシステムです。
外人は寝泊まりできればOKとのコメントが多いようです。
これにはちょっと気を付けたほうが良いです。

今回利用した1件の民泊にコメントを書きました。
確かに、PCで撮影された顔写真とともにコメントがこのサイトに掲載されました。
そして、宿泊先のオーナーである、イタリア中年婦人は、このコメントに対するコメントを書いてきました。
少し、ほんわか気分。

今回のルートは、行きが、羽田→関空→仁川(韓国)→ローマ→パレルモ(シシリア)→シラクーサ、帰りが、カターニア(シシリア)→ローマ→仁川(韓国)→成田です。

パレルモから古い港町トラパニ、古代ギリシャ遺跡アグリジェント、古代ギリシャの遺跡があるシラクーサから中世都市ノートとモディカを訪問する予定です。

韓国経由パレルモへ:

娘のCA特典(CAの親はその航空会社のフライトを格安で利用できる。但し、空席有が前提)を予約しました。
そして、旅行日程がシルバーウィークにかかっていたので、当初は、イタリアへのダイレクト便でしたが、出発日がせまると、空席だんだん減ってきました。
そこで、韓国経由にしました。
韓国へもCA特典を利用しようとしたのですが、この空席もほとんどありませんでした。

韓国へは関空発の格安航空のピーチを利用しました。
しかし、これも直前購入のため、割高になりました。コストカットは大変です。

関空の近くのホテルに宿泊しました。
このホテルはフロントの笑顔もなく、今回の旅行で最も無機質でした。

仁川着は9時35分。仁川発ローマ行きは、仁川発13時30分のフライトでした。

仁川でのチェックインまでは順調でした。
仁川のチェックインカウンターの空港係員に、預けた荷物の受け取り場所を確認しました。
係員は気をまわして、最終目的地のパレルモで受け取れるように確認していました。

仁川からローマとローマからシチリア(パレルモ)の航空券は通しではありません。
別々に購入しました。従って、通常は、ローマで荷物を受け取り、イタリアの国内線に乗り換えます。

その係員は上司に確認し、画策してくれましたが、ローマ受け取りとなりました。
その上司が私にローマでの受け取りを説明してくれました。ご丁寧なことです。

しかも、その係員は、私の荷物に優先受け取りのタグをつけてくれました。ラッキーです。

しかし、搭乗後、定刻になっても離陸しません。約40分遅れの離陸となりました。
次のフライトの乗継まで、約2時間あるので、ま、これくらいの遅れは吸収できると思っていました。

結局、ローマ空港に約1時間遅れの20時に到着しました。次のフライトは20時55分。

少し急がないと。

入国審査を終え、荷物の受け取り場所を確認し、荷物の受け取りです。
日本の空港のようにスムーズに荷物が出てくればよいのですが。
荷物の優先受け取りステッカーの効果はあったものの、ここはローマでした。
荷物を受け取りました。乗継まで、30分。

イタリア国内線のチェックインカウンターへ移動しました。
フライト出発時刻まで、20分。間に合ったかなと思いました。
カウンターは1つ。
そこには中国人家族の数人がチェックインで何やら、手続きに時間が掛かっています。

早くしてくれー。

すると、別の中国人が、私の後ろから来て、あれは私のファミリーだと言って、その家族と合流。

おいおい。

また、中国人の世界のマナーを知らない、自己中か。

やっと、私の番が来ました。
しかし、カウンターの女性は、チェックイン時間は過ぎていると言いました。
韓国からの便が遅れたためだ、と言っても、融通がききません。

チェックインカウンターに着いたときに、叫べばよかった。

次の便に空席があってよかった。次の便のチケットを購入しました。
やれやれ。  
フライトを待っていると、これがまた、遅れていました。
そして、初めに乗る予定のフライトも遅れていました。
フライトが遅れても、チェックイン時間の変更はしないようです。

パレルモ着:

そして、シチリアの最大都市である、人口70万人のパレルモの空港につきました。
市内向けのバスに乗りました。
市内に近づくと、建物も多くなりましたが、車はあまり走っていません。
時間は12時、真夜中です。どうやって、宿泊場所に行こうか。

バスが中央駅前に着きました。
タクシーが1台だけ止まっていました。
バスの乗客目当てのタクシーと思います。
1台しかいなかったので、すぐ、声を掛けました。
運転手に民泊の住所を見せて、到着しました。
後で分かったのですが、歩いても10分の距離でした。

イタリアの多くのアパート形式の民家は、アパートの入り口にゲートがあり、そのゲートには鍵かかかっています。

民泊のあるアパート前に到着しました。運転手にゲートの入り方を聞きました。
インターホーンがあり、住人別のボタンを押して、ゲートを開錠してもらい、入場します。

民泊のオーナーらしき名前の横にある、ボタンを押しました。
何度押しても、反応がありません。
そこで、私は携帯を持っていましたが機能していなかったので、運転手にあなたの携帯でオーナーに電話をしてくれないかと頼みました。
運転手は英語を話すことはできませんが、身振りで分かると思っていましたが。通じません。 

でも、運転手も立ち去ろうとはしませんでした。感謝です。

この時間、この通りを通行する人は全くありませんでした。
が、老夫婦が歩いてきました。運転手、この老夫婦に何か聞きました。

すると、運転手は携帯を取り出し、電話をしました。

すると、めでたく、ゲートが空きました。

この老夫婦と次の日の朝、再会し、グット・モーニング。観光客のようでした。

中に入ると50歳過ぎのご婦人が出てきました。
ですが、キャミソールの黒の下着姿です。きっと寝ていたのでしょう。
イタリア人はあまり気にしないのかなぁ。特にシシリアの人は。

部屋の説明を聞きました。共通の洗濯機、朝食は共通場所でご自由に。

でも、この洗濯機、使う予定もありませんでしたが、いつも洗い物が入っていました。

WiFiはあるとのことでした。彼女もいろいろ操作をしてくれましたが、自分のPCからつなぐことはできませんでした。

彼女はこのようなことはあまり詳しくないようでした。  
彼女は、自分のPCを持ってきて、このPCは動いていると、見せました。

民泊は、ホテルと違い、周辺地図を用意していません。
PCもつながらなかったので、中央駅までの地図を描いてもらいました。イタリア人らしい地図でした。

部屋は広く、2部屋でした。エアコンはなく、扇風機。
寝室には、装飾品として、昔のバスタブ、燭台、
そして、10代女性?のたくさんの昔の白黒のヌード写真??

それなりに、気を使っているのでしょう。ホテルにはない、雰囲気です。

民泊は住宅街の一般アパートの1室でした。

宿泊費は7000円/日です。四人泊っても、十分な広さです。

就寝しました。夜中、バイクのけたたましい音で目が覚めました。

パレルモ観光:

今日はシチリア最大都市、人口70万人のパレルモの市内観光です。

でも、その前にWiFi探しです。民泊の近くに、小さな喫茶店がありました。

ここにWiFiがありました。
お客さん向けですので、注文することがWiFi使用の条件です。マスターは英語が話せます。
よかった。
パレルモに滞在していた時は、時間のある朝夕に立ち寄りました。
レシートにWiFiのパスワードが記載されています。

大通りに出ると、その両側は欧州建築です。

最初に行くところは、観光案内所です。
周辺マップが欲しかった。
でも、閉店でした。
観光案内所のドアに開店時間が書いてありました。その開店時間でしたが、閉店でした。

そこで、ホテルを探しました。
大通りにはホテルがありました。
ホテルに入り、周辺マップをゲットしました。
そして、現在位置、観光名所を周辺マップ上に印してもらいました。
このフロントも快く、対応してくれました。目的は完了しました。

最初に目指したのは、交差点に面する建物に中世彫刻が目いっぱいある、
クワトロ・カンティ言う名の交差点です。その近くに、プレトリアの噴水があります。

プレトリアの噴水:

背後に見えるのは、その後見学したサンタカテリーナ教会です。

ほとんどの石像の男女が裸体です。

サンタカテリーナ教会:

隣に大きな教会がありました。

クワトロ・クワンティ:

大通りの交差点に面するビルに彫像があります。

大聖堂、カテドラーレ:

大聖堂は、歴史的にキリスト教、イスラム教、キリスト教と変遷しました。

ノルマン人が支配していたころ、ここでキリスト教徒、イスラム教徒とユダヤ教徒がここで働いていました。

大聖堂の屋上に上がることができます。

ギリシャ正教教会:

帰り道に覗いた教会では結婚式をしていました。
ギリシャ正教のイエスは立体像ではなく、平面画です。

マルトラーナ教会:

小さな教会:

街中にひっそりとした小さな教会がありました。

食料品マーケットとお土産屋:

地中海らしい、板にカラフルに魚を描いた絵を売っているお店がありました。

パレルモ中央駅(明日の準備):

明日、古代ギリシャの遺跡である、アグリジェントに行く予定ですが、バスで行こうか、電車で行こうか。
まずは鉄道駅を確認です。パレルモ中央駅に行きました。

切符窓口で、アグリジェント行き切符の販売確認をして、時刻表をもらいました。
でも、行きはバスにすることにしました。
電車は時間が読めないと、インターネットにありましたので。

バス停は中央駅の裏手にありました。

夕食:

さて、夕食です。民泊の近くのWiFi喫茶店でレストランを聞きました。
それは、歩いて、5分もしないところにありました。

こじんまりと、こぎれいなレストランでした。
でも、対応した若い男性店員に通じる、英単語は僅かでした。
スパゲッティとビールまでは良かったのですが、野菜サラダが通じません。
隣にいたオーストラリアの気品のある60歳前後の婦人もあきれていました。
ヴェジタブルの語尾を捉えて、“ブル、ブル、何言っているのかわかんねぇよ”てな感じです。

オーダーの最後に、婦人と私がカップルと思ったのか、2コヒーfor you ?と店員が言います。
婦人と顔を見合わせて、大笑いです。
このご婦人、明日はゴットファザーのロケ地に行くとか。

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