【中東・ヨーロッパの旅】レバノン・トルコ・ギリシャ編~➈~

ギリシャ

ピレウス港からクレタ島へ:

アテネから地下鉄で30分ほどのピレウス港に向かいます。クレタ島に行くためです。
ピレウス港からはギリシャの島々へのフェリー、エーゲ海クルーズなどの船が出航しています。

ピレウス港は紀元前からの港です。16世紀に建てられた、聖スピリドン修道院があります。

出航は21時です。
たっぷり時間がありましたが、することもなく、近くにあったクルーズの旅行社に入るなどして、ぶらぶらとしていました。
夕食はこの港のレストランで取りました。

クレタ島行きフェリー

フェリーは大型でした。明日は日の出を見よう。ピレウス港21時発、クレタ島朝6時着です。

フェリーの搭乗率は50%程度で、乗客の皆さんは、複数の席を使用し、横になっていました。
前のシートの男性は30分以上の携帯での長電話です。

6時前、日の出を見るためにデッキにでました。数人の乗客がいました。
残念ながら、時間が早く、船上で日の出は見ることができませんでした。

クレタ島イクラリオン到着:

ギリシャ文明の1つであるミノア文明(クレタ文明)はクレタ島で興りました。
乗ったフェリーはミノアという名の会社のフェリーでした。。

クレタ島の面積は静岡県より少し大きい。紀元前2000年頃の文明です。当時、日本は縄文時代です。

ギリシャ本土から遠く離れた、クレタ島になぜ文明が興ったのか、不思議に思えます。

当時、海洋貿易が盛んになった時代でした。
波静かな地中海は陸路よりも安全で、移動し易かったのかもしれません。

エジプト文明とメソポタミア文明の交易ルートに近く、高度な文明と接することができました。
刺激の多い地域だったようです。

ミノア文明当時、クレタ島に住んでいたのはギリシャ人ではなく、小アジア(トルコ周辺)から来た人々と言われています。

船舶技術があれば、島であっても海上交易で経済が潤い、陸より安全だったのかもしれません。

ミノア文明(クレタ文明)の象徴がクノッソス宮殿遺跡です。

火山の噴火、ギリシャ人(ミケーネ文明)の侵入により、崩壊したと言われています。

ギリシャ文明はいくつかの文明のくくりですが、この文明間の勢力争いがあったようです。

クレタ島の最大都市である、人口14万人のイクラリオンの港に着きました。
日の出を見るために、しばらく港にいました。

城壁らしき壁がありました。壁の中が市内です。

朝食を近くのファーストフード店で取りました。
そして、クノッソス宮殿遺跡への行き方を聞きました。

クノッソス宮殿遺跡へバスで

ここでの目的地はクレタ文明の象徴である、世界遺産のクノッソス宮殿遺跡です。
歩くには遠いので、バスで行きます。
ダウンタウンに広場があり、ここからバスが出ています。

切符は自動販売機で購入しました。
自動販売機の切符代は、バスの中で購入する場合のぼぼ半額であることが、後からわかりました。
でも安いです。1.1ユーロ。

2番線がクノッソス行きです。

クノッソス宮殿遺跡到着

終点がクノッソス宮殿遺跡でした。
クノッソス宮殿遺跡の数駅前から、バスの乗客は私一人でした。
30分後、クノッソス宮殿遺跡に到着しました。

朝が早いこともあるのか、入場者は誰もいませんでした。
宮殿の入り口で、うろうろしていると、中年女性が近づいてきて、ガイドが必要ですかと聞いてきました。10ユーロでした。お断りしました。入場料5ユーロ。

確かに、宮殿の跡でした。それ程広くありません。

ここで感激するのは、構造物の中にある壁画です。
復元らしいのですが、数1000年前の壁画を見ることができます。
色使いはカラフルで地中海らしく、庶民を描いているものもありました。

博物館

この遺跡にある展示場と中心街にある博物館に行きました。
ここの展示物を合わせると、文明であることが確認できます。文字も使っていました。
展示物はその後のギリシャ文明の遺品と似通っていました。

聖ミナス教会

イクラリオンには教会もありました。
この教会(聖ミナス教会)は、ギリシャ本土と同じギリシャ正教の教会です。
ギリシャ正教の教会内の内装は、ヨーロッパの教会とは雰囲気が異なります。
その違いを見ることができるのが、イコンです。
イコンは、平板に描かれた宗教画です。その雰囲気は独特です。

イクラリオン市内

気候温暖、リゾート地でもあり、のんびりするのにはいいかも。

夕食

21時発のフェリーでギリシャ本土に戻ります。
ギリシャ本土ピレウス港着は朝の6時です。

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