概要:
草木のない一面の波紋の砂、それが砂漠、一方で山岳地帯は緑と共に存在していると思っていました。
砂漠にある、草木のない山岳地帯がアルジェリアのサハラ砂漠にあるホガール山地です。
タマンラセットからホガール山地の標高2726mのアスクラン向かいました。
途中の砂漠の湧き水、岩絵、まるびをおびた大岩群、警戒感が少ない野生動物。驚きの連続でした。
アスクランの電気のない小屋に泊まりました。
ここからの風景は、これが天地創造の時ではないかと思わせる光景でした。
2回に分けてご紹介いたします。
出発:
朝の散歩からホテルに戻り、朝食をとり、迎えの車を待ちました。
車に乗り、現地旅行社に向かいました。
現地旅行社で二人が迎えてくれました。
二人は、私がフランス語の30を超えるメイルを送った相手であり、二人は、私がフランス語を話せると思っていました。
片言英語のコミニュケーションでした。
でも、困ることはありませんでした。
最初に連れていかれたのは、近くの商店でした。
そこで、ターバンをお土産に頂きました。
お土産と言うより、必需品でした。
この暑さなのにターバンを巻き、口まで覆います。出ているところは目だけです。
そして、長袖です。
暑くてやりきれないと思うでしょう。
しかし、ターバンは直射日光を遮り、マスク代わりなります。砂漠は砂っぽい時が結構あります。
そして、乾燥しているので、このような服装をしても、汗をかきません。
正確には、出た汗は、すぐ蒸発してしまいます。
これから、山岳地帯に出発です。
私は日帰りと勝手に思っていました。
すると、寝袋を持ってきたかと聞かれました。
勿論、そんなものは用意していません。
「分かった。」と言って、寝袋を貸してくれました。
でも、どこかに泊まるの。この暑いのに寝袋が必要なの。
結局と言うより、先方の初めからの予定である、山岳地帯の高さ3000mの山頂に泊まることになりました。
乗る車は、年代の4輪駆動車でした。水、食料も積んでいました。
旅行会社の人は同行せず、運ちゃんと60歳前後の男性と出発です。ともに現地人で、日本語はもちろん、英語もできません。
そして、「いざ、出発です。」
砂漠道:
5分も走らないうちに、道路は舗装のない、砂の砂漠道になります。
砂漠道は一般乗用車での走行は難しいと思います。
そして、子供が乗っているラクダに遭遇しました。
果てしない砂漠道が続きます。
このような道は4輪駆動車です。
これから向かう、標高2726mのアスクランの標識がありました。
サハラ砂漠の荒涼とした山地:
砂漠は砂が一面の世界だと思っていました。ここは、遠くに緑のない赤い山を背景とした、灼熱で焼け焦げたような石がごろごろした風景です。とても地球とは思えませんでした。でも、美しく見えます。
サハラ砂漠の湧き水:
驚くことに、灼熱の砂漠に木の茂みが現れました。
ここでは水が岩石に隙間からわずかながら流れ出ていました。
わずかな水は絶乾の地表に池を作ります。この水で木々は生存しています。
そして、木々は木陰を作ってくれます。
木陰で昼食:
ここの木陰で昼食となりました。
同行した現地人60歳男性が果物ナイフで調理します。
きれいに盛り付けられたサラダです。
でも、時差の関係か食欲がでません。手のこぶし程のサラダしか、口に入りませんでした。
その後、お茶を飲むかと聞いてきました。よく聞き取れなかったのですが、多分そう言いました。
すると、お茶を作り始めました。しかも中国製の緑茶です。
おもてなしのようです。
茶葉をたくさん入れます。お茶は濃い緑色になります。
そして、これに砂糖を入れます。
その入れ物は、小さな透明グラス。お茶エスプレッソのようでした。
これがとてもうまいと言うしぐさをしました。
北アフリカでは、コーヒーと言えば、小さいコーヒーカップに入った、エスプレッソです。
緑茶も彼らにかかったらこうなるようです。
昼食後、お昼寝を勧められました。
木陰でそれ程暑さを感じることもなく、横になりました。
サハラ砂漠の奇岩:
アスクランに向け出発です。
砂漠の山に見える巨大な岩の奇妙な形は驚きです。
山と言うか、巨大な大岩と言うか、それが雨も降らないのに侵食を受けたような肌をしています。
幻想的な風景が続きます。
雲の合間からさす光が大岩にさし、更に幻想的になります。
サハラ砂漠の野生動物:
野生動物に出会いました。動物たちは人に対する警戒感が少ないように感じました。
草木もないこんなところで肌つやが良く、良く育っていると思いました。
きっと、さっきの湧き水の恩恵を受けていると感じました。
天敵もいないようです。
サハラ砂漠の山小屋:
山を登り始めました。道は整備されていません。
道に大きな亀裂が数か所あり、4駆でも、通過に苦労しました。
今夜の宿泊場所は石を積み重ね、その隙間を土で埋めた小屋です。水道、電気はありません。
私は泊まった小屋は窓がありませんでした。
徒歩で丘に登り、そこから見たキャンプ場です。
一人神父の教会:
運ちゃんがもう少し登ろうと言います。
急斜面で、固定されていない石を敷き詰めただけの細いジグザク道を登ります。
ここが頂上。2870mです。
ここには、神父一人のキリスト教会がありました。神父はポーランド人でした。
神父に勧められて、中に入りました。
神父が熱心に説明してくれたのは、現地語であるトゥアレグ語をフランス語に翻訳した辞書でした。
これは、先代神父が作ったそうです。
北アフリカに住む、コーカソイド(白人系)のベルベル人の話す言葉がトゥアレグ語です。
サッカーの元フランス代表選手のジダンはベルベル人です。
この旅でモロッコの青の街シャウエンに行きますが、ここはベルベル人の街です。
ローソクの火の元で料理された食事をとりました。
なぜか、我々以外にも数人の男性が来て、食事をしてゆきました。
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