概要:
以前、キリストが生誕したイスラエルに隣接するベツレヘムを訪れました。
今回は仏陀の生誕地はネパールのルンビニを訪れ、その後、インドに入り、仏教遺跡のアジャンター、エローラを訪れることにしました。2017年2月。
カトマンズ空港;
ネットで航空券と宿を手配します。
ルンビニ周辺の宿が見つかりませんでしたが、民泊サイトにはありました。
ここで決めたのですが、泊ったのは、民泊ではなく、小さいホテルでした。
彼らは、この民泊サイトを利用して、インターネットへ情報発信をしていました。
ビザも必要です。大使館に申請し、受領しました。ビザにはヒマラヤのゴム印が押印されていました。
バンコック経由で、昼頃、ネパールの首都カトマンズの空港に着きました。
入国審査前の行列はほとんどありませんでした。
同乗した人々はここで入国カードを書いています。
機内で入国カードを書いた私は時間もかからず、入国審査を通過しました。
ベルトコンベアから荷物を引き取りますが、その後の荷物チェックがあります。
長蛇の列ですが、並んでいる人は現地人のようです。外人観光客のチェックはしていませんでした。
空港ロビーの一角に通貨交換コーナーがありました。
レートを見ると、少し悪かったので、100m位離れたところにATMがありましたので、両替を試みました。
しかし、カードを差し込むと、サービス中止の表示です。通貨交換コーナーに戻り、両替をしました。
人は多かったのですが、フライトの乗降者以外はロビーにいなかったので、タクシーの勧誘もありませんでした。
バスで市内へ;
時間は14時でしたので、バスで市内に行くことにしました。空港から市内まで、わずか3Kmです。
ここにはバスターミナルのようなものはありませんでした。バス停が分かり難いです。
バス停の表示が曲がっていて、パーキング禁止表示が一部重なっています。
バス停にいた青年にここのバスは市内行きかと聞くと、そうだ、5分後にバスが来ると言います。
この青年はバスの車掌でした。車掌の制服はなく、私服でした。
座席は50,60あり、乗客は5,6人と少なく、快適な状態で発車しました。
しかし、空港構内から渋滞で、車が全く動きません。
空港構内から一般道路にでるまで、数100mの距離ですが、1時間以上かかりました。
やっと、最初のバス停に着きました。
バスの乗降口は前後、2か所あります。そこから、次から次と人が乗ってきました。
車内は通路まで人で一杯に、身動きができません。車掌も人を詰め込みます。
車掌がバスのボディを手でたたきます。これが発車の合図です。
私は、通路座席に座り、携帯していた旅行ケースを横に置いていました。
5,6歳の女の子連れの婦人が押されて私の近くに来ました。
婦人は、私に、その旅行ケースに子供を座らせてもよいかと聞くので、即、OKしました。
その婦人も、人に押され私の膝に半すわりです。
道路は舗装されていないので、風が吹くと土埃がひどい。その時は乗客が窓を閉めます。
車内はエアコンもなく、暑い。風が収まると、乗客は窓を開けます。
こんな状態が、更に1時間続きました。料金は20円でした。
市内に入り、宿泊先と同じ地名のバス停で降りました。
宿泊先:
宿泊先はグーグルマップでもよく分かりません。聞くと、すぐ近くでした。
細い路地を入り、2年前のネパール大地震で窓が割れ、そのままの、休業しているホテルの横でした。
宿泊先の名前はホテルですが、ほぼ民泊でした。建物の軒先がフロントでした。
陽気な青年がスタッフでした。フロントは少し大きな部屋になると言いました。
予約とは異なる部屋のようです。その時は料金を聞いても答えません。部屋に案内されました。
料金は18USドルで、OKしました。宿泊者のほとんどは欧米人でした。
中庭もあり、静かで、雰囲気あります。
ホテルの近くに、共同水道がありました。絶えず水が流れています。
何回もこの前を通りましたが、人が絶えませんでした。
洗濯、食器洗い、洗髪、歯磨きなど水回りのことはすべてここでするようです。
カトマンズ市内:
夕方になりかけました。市内を散策します。ホテルはそれほど大きくない繁華街の端にあります。
繁華街の道は舗装されていません。土道です。
歩きはじめると、すぐ、何人かが日本語で声を掛けてきます。有料ガイドです。断ります。
そして、私はお金をとりません、と声を掛けてくる人がいました。断りますが、ついてきます。
そして、少し離れたととこでヨガ教室を経営していると、無料であることの根拠の説明をします。
そのまま、何軒かのお土産屋に入りました。これを持っているとご利益があると説明します。
最後には、うるさいくらいになりました。 そして、自分の生活が苦しいことを説明し出しました。
さっきは、裕福と思われる説明をしたのに。説明が終わると、だから、2000円欲しいと言います。
厚かましいです。仕方がなく、1000円を渡しました。
非常に、喜び、これで数日間生活できると言います。嘘を平気で言う悪質な人でした。
ホテルに戻る途中に、イスラム教の食事であるハラルの看板を掲げたお店がありました。
さて、夕食です。近くの民族舞踊を演ずる、レストランに行きました。
20,30席ありましたが、お客さんは私を含め二人でした。
食事はご飯に小皿がいくつかついてきました。踊りが始まりました。
生演奏ではなく、若い男女が民族衣装で踊ります。ちょっとそっけない。
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