概要:
旅の目的:歴史あるベネチア、ボローニア、フィレンツェ、シエナとローマを巡ります。
メトレス:ベネチア近郊の町に宿泊。
ベネチア:運河のある城壁のない島。
教会:外観シンプルでも中に入ると。
ゲストハウス:中国人オーナー。
鉄道スト:予定変更。メトレスにもう一泊。
旅の目的:
現在の東欧までも版図にしたオスマントルコ帝国と戦いも交えたベネチア。
5世紀、ゲルマン人の侵入により、西ローマ帝国は滅亡しイタリアは分裂しました。
その後、建国されたベネチアは西欧社会とオリエント社会を結ぶだけでなく、大きな勢力を持つようになりました。
紀元前からの歴史を持つフィレンツェは中世、メディチ家が勢力を持つ国になります。
世界最古の銀行があった金融都市であったシエナ。
西欧社会で世界最古の大学のあるボローニャ。これらの都市を巡ります。
空港から電車でベネチア近郊メストレへ:
中国(広州)経由でローマ・フィウミチーノ空港に向かいます。
前回の旅行は中国の上海、北京を経由しました。
時間は多少かかる経由地経由ですが円安もあり高額の直行飛行機代に比べたら格安料金です。
格安料金ならば、昔は中東経由でしたが現在は中国経由となっています。
ローマ・フィウミチーノ空港に定刻より早い朝7時前に到着しました。
入国審査を受け荷物を受け取ります。
ベネチア近郊のトリエステ空港行に乗り換えます。
トリエステ空港に予定通り到着しました。
トリエステ空港からゲストハウスのあるメストレに向かいます。
バス切符はイタリア語の説明の自販機しかないようだったので係員のいた列車にしました。
空港から鉄道駅は雨をしのげる通路で行き来ができます。
こ周囲はブドウ畑などの農地が広がっていました。

線路は複線で表示はイタリア語です。
電車を待つ観光客は私一人でした。
電車を待っている年配の男性に私の行く「メストレ」の単語と手でフォームを差して尋ねました。
フラットフォームを確認です。

電車の時間が迫り、プラットホームに降りました。

電車を待つ乗客が多くなってきました。
SIM購入とゲストハウス:
田園風景の中を電車は走り30分後メトレス駅に到着しました。
駅は混雑していましたが駅を中心とする町はこじんまりとしています。
駅は各方面への接続があり町の大きさと比べたらかなり大きい。
ここでする最初の仕事は携帯のSIM購入です。
駅にはSIM販売店はなく構内にいた迷彩服の軍人にSIM販売店を聞きました。
小さいSIM販売店で数人のお客さんがいました。
10日SIMは20ユーロでした。
迷彩服の軍人はどの駅にもいました。
ほとんどの軍人は自動小銃を持っていました。
見ているとまるで警官でした。
そして警官らしき人はいませんでした。
ゲストハウス:
次はゲストハウスの探索です。
ここのゲストハウスからの出迎えはありません。
駅に近いゲストハウスは7,8階ビルの中にあります。
似たようなビルがいくつかありました。
お店に入り、道を聞きました。
控えておいたイタリア語の住所を見せました。
「通りはここです。番地はこの店の近くですがよく分かりません。」
ビルには番地が表示されていました。
暗証番号を入力し、ゲストハウスのある4Fまでエレベーターで移動します。
オーナーは60歳前後の中国人女性でした。
オーナーは英語、日本語を話すことはできませんでしたが、携帯の翻訳アプリで中国語と日本語の会話です。
何の支障もありませんでした。
ベネチア巡り:
ベネチアはイタリアの中では比較的新しく、中世に形成された街です。
西ローマ帝国の5世紀滅亡後の当時、周辺は異民族が侵入し、ベネチアはこれらを避けるために本土ではなく、近隣の浅瀬に浮かぶ島々に7世紀に建国されました。
浅瀬のため島々に大型船は近づくことはできません。
しかし、ベネチアには海に通じるいくつかの水路はありました。
浅瀬が城壁、水路が門となり、町の城壁は不要でした。
位置的に東ローマ帝国と西欧の近隣でありギリシャ学問を発展させたイスラム社会との接点もありました。
ベネチアは南イタリアに進出したノルマン人に勝利し、アドリア海の制海権を確保しました。
そして、オスマン帝国との戦いに勝利しました。
当時のベネチアには外国人の商館も多く(ドイツ人、トルコ人、ユダヤ人など)、国際色の濃い町でした。
シルクロードを旅したマルコポーロはベネチア出身です。
ベネチア入口まで鉄道はありますがここが終点です。
メストレ駅でベネチア駅までの往復切符を購入しました。
列車は約10分間、海辺を走ります。
ベネチア駅は島全体が世界遺産のベネチアの入り口にあり、これが終点です。

駅は運河に面していました。
水路があり、対岸にはサンシメオンピッコロ教会がありました。
いかにもベネチアらしい風景です。
最短距離で対岸に行くのは船です。
橋もあります。
橋は中央が高くなっていて橋の下を船が通行できます。


観光客はとても多かった。


建物は古そうですが人が住んでいるようです。
海の干満差はあるとは思いますが今でも水位は入口すれすれです。






夕食:
メストレ駅に戻り夕食です。
ゲストハウスの近くに町の大きさとは対照的に大きなレストランがありました。
いつも列ができていますが回転率は速そうです。
パスタを注文しました。

鉄道スト:
今日はベネチア観光後、次の目的地ボローニャに行く予定でした。
朝、駅でベネチア行き列車の切符を買おうとするとストだと言います。
駅構内にバスチケットの販売店があり、尋ねましたが今日の切符はないと言います。
ゲストハウスに戻るとオーナーがいました。
ボローニャへの移動手段を相談しました。
オーナーは中国語で電話しました。
そんな遠くへ行くタクシーはないとのことです。
結果はNGでした。
オーナーは自分の娘がやっている近くのゲストハウスを紹介してきました。
そこに泊まることにしました。
そのゲストハウスはここから100mもないところでした。
再びベネチアへ(教会巡り):
今日は鉄道がストなのでバスで行くことにしました。
駅とは別のビルにバス切符売り場がありました。
バスは満員でした。
ベネチアの入り口の鉄道駅の近くにバス駅があります。
今日は教会を巡ります。
サン・ロッコ教会:






サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂











水道:

夕食:

メトレスの朝:
翌朝、民泊から見たメストレの街並み。

次回は西欧最古の大学のあるボローニアです。
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