概要:
景泰黄河石林に普通列車で行きます。
乗った列車には漢民族ではない人たちが多く、イスラム教徒も見かけました。
列車の物売りは同じ物売りが1品毎売りで、品を変え何回も前を通り過ぎました。
列車の本数が少なく、到着駅でのおばちゃんとの携帯アプリの会話に時間がかかり。
数時間の景泰黄河石林の見学です。
黄土高原が侵食された赤褐色の石林です。
甘粛省博物館は4,500年前から清代までの展示をしていました。
西夏、チベット、仏教と多彩でした。
白頭山公園はチベット仏教寺院があり、地元の楽団が演奏していました。
公園から地中に住居を構えるヤオトンを見ました。
景泰黄河石林へ列車で:
炳霊寺石窟も黄河石林の一角ですが蘭州近郊にもう1つの黄河石林があります。
ここは国立公園となっていますが、事前の情報収集では蘭州及び近くの市からの距離しか分かりませんでした。
ホテルフロントからの情報と合わせ、列車で行くことにしました。
中国はどこの駅でも切符購入は一仕事です。
切符購入に必要な時間を30分設定しました。
蘭州から白銀西駅まで在来線です。
列車の出発駅と時間、到着駅と時間と帰りの列車もメモしました。
係員と会話は出来なくても、このメモで往復切符を購入できました。
行きが1.5時間、帰りが3時間です。
帰りの時間が行きの2倍の謎は後述します。
料金は片道220円です。
この料金で指定席です。

列車の待合室が2種類あるようです。
お金を払うと、専用の場所で列車を待ちます。
その椅子は無料場所と同じです。
でも、改札は優先してくれるようです。
列車に乗ると、ここはほんとに中国なのかと感じます。
イスラム教徒が大勢乗っています。
私の前座席も若いイスラム教徒でした。
私の隣とその前は10歳代後半の男女で兄弟のようです。
顔つきも話す言葉も中国人ではありませんでした。

面白いのは40歳過ぎの男性の車内の物売りです。
物売りは1品売りです。
しばらくすると、別の1品を売りに来ます。
携帯をテーブルに立てかけるための2つの吸盤がある品物がありました。
携帯とテーブルにそれぞれ吸盤をセットすると携帯をハンドフリーで見ることができます。
150円です。
少し売れていました。
車窓からは、ほとんど木々のない中、果実をつけた木々がありました。
ここは水さえあれば果物を収穫できそうです。
列車は時間通りです。
白銀西駅に近くなり、列車のドアの前に行きました。
プラットフォームに列車は入ります。
すると、前の席に座っていた、若い男性のイスラム教徒がドアの前に立っている私の所へ来て、別の車両のドアを指さしました。
この列車は半分のドアしか開かないようです。
助かりました。

白銀市からタクシー:
白銀市から景泰黄河石林まで75Kmの事前調べです。
駅構内で行き方を聞きます。
ボス的な中年婦人に尋ねました。
婦人は携帯を取り出し、会話アプリで中国語と日本語の会話です。
そこへ、タクシーの運ちゃんが加わりました。
この会話アプリはまだ学習が十分できていないようです。
タクシーの会話アプリでは運ちゃんが「師匠」となっていました。
結局タクシーで行くことにしましたが、2時間かかると言う。
今、11時前で、帰りの列車の発車時刻が15時01分(蘭州への最終)。
往復4時間かかるとなると、見学時間はないことになる。
事前調査の75Kmとタクシーの2時間を秤にかける。
ここまで来たのだから、行くだけ行ってみることにしました。
料金は2250円。
道路は舗装され高速度道路のようでした。
交通量も少ない。

そして、帰りの駅までの移動もお願いし、OKをもらいました。
料金は往復なので片道の2倍で、私の観光の間は待機する条件でした。
移動時間が昼だったので運ちゃんはダッシュボードを開け、透明ビニールの入ったナンを勧めてきました。
丁寧にお断りしました。
同じ高さの小山がごろごろの黄土高原らしき風景が見えてきました。

景泰黄河石林:
景泰黄河石林に着きました。

帰りの列車に乗るためには、観光する時間は30分しかありません。
そして、ここを観光するためにはいくつかの工程がありました。
入場切符を買い、バス、電気カートに乗り、徒歩です。
バスは40-50乗りですが、中国人団体がすでに乗り込んでいて、私で満席となりました。
すぐに出発したのは良かった。
バスは360度曲がる、くねくね道を下降します。

見えてきました。泥水の黄河沿いに横たわる黄土高原が侵食を受け、奇岩となった姿でした。
侵食が始まると、そこが集中的に侵食を受け、平原は切り立った岩だらけになるようです。
5分後、バスは停留所に着き、ここで電気カートに乗り換えます。
バス満席の乗客は、電気カート1台に乗ることができませんでした。
中国人団体客の先頭は電気カートの座席をすべて確保し、後から来る中国人を誘導します。
少し待ちます。
私を含めた、電気カートに乗れなかった、あぶれた観光客が次の電気カートに乗り込みます。
3分後、電気カートの停留所に着きます。
ここから、黄河の川沿いに徒歩5分です。
黄河に沿っている岩の切れ目にある石林の入り口を目指します。

時計を見ながら、進みます。




もっと進みたかったのですが、引き返す時間となりました。
来る時と逆の順路の徒歩、電気カート、バスでの帰りでしたが、予定通り、帰りのタクシーに乗ることができました。
行きは1.5時間の列車、そして帰りの列車は3時間かかりました。
途中で、行きは止まるのは駅だけの列車が帰りは駅以外の場所に1.5時間も停車していました。
疲れます。
甘粛省博物館:
唐の長安であった西安から630Kmの蘭州はシルクロードの要衝でした。
街の中心を黄河が流れます。
今日は蘭州市内の散策です。
ホテルの近くに甘粛省博物館がありました。
甘粛省博物館の建物は、咸陽博物館と同様に立派です。
パスポートを見せ、入場券を買おうとすると、無料でした。
甘粛省は黄河沿いにありますが、黄河文明と言われる地域より上流にあります。

象形文字が漢字に変化する説明文がありました。
象形文字は古代エジプト文字と似ていました。
古代エジプト文字は簡素化されたアルファベットの原型になる表音文字のフェニキア文字になりました。
漢字はそれ程簡略化されずに表意文字となりました。
それぞれの文字の形成はフェニキア文字が多民族に、漢字が漢民族に向け使用されたことによると思います。

展示品に4000~5000年前の文様のある複雑な形状をした壺がありました。
小さい壺ですが、これは黄河文明の象徴の1つです。
小さくても、エジプトのスフィンクスなどに比肩できると思いました。
この出土は黄河文明がもっと広範囲であったと言うことでしょう。




金の装飾品です。




楽器の演奏です。
演奏者は漢民族ではないようです。

仏像もありました。






当時の壁画作成の模型がありました。

当時の仏像の設置の模型です。

清代になると、その表情も変わってきます。
威嚇しているようにも見えます。

チベット仏教の巨大なマニ車がありました。
蘭州は西域とチベットに隣接し文化の多様性を感じます。

蘭州は古代中国にあったイスラム教国の西夏に近接していました。
西夏文字の展示がありました。
西夏は井上靖の「敦煌」にでてきます。
何と複雑な文字でしょうか。

白塔山公園(チベット仏教寺院、ヤオトン、イスラム寺院):
甘粛省博物館を後に、蘭州市の名所の白塔山公園に向かいます。
小山の上に、白い塔のある寺院があり、白塔山と呼ばれています。
黄河沿いにあります。

門をくぐると、歌声が聞こえてきました。
そこに行くと、シニアの私設音楽隊が演奏していました。
歌は中国音楽でしたが、楽器は中国と西洋の混成でした。

また門がありました。

このお寺はチンギスハンに謁見しようとしたチベット僧の逝去で建立されました。
マニ車があり、チベット仏教の雰囲気がありました。


階段を登り、頂上を目指します。
頂上には白塔がありました。

黄河と反対方向から下を見ると、黄土高原特有の住居形式である、窯洞(ヤオトン)がありました。
崖や地面に穴を掘り、住居としたものがヤオトンです。
黄土高原土壌は柔らかく、多孔質であるため、作るのも容易で、快適に居住できるそうです。
中国では1000万人が居住しているらしい。

登頂に月の形をした造形物のあるイスラム寺院が見えました。

山頂から、黄河に沿った蘭州市を見ることができます。

次回は蘭州点描です。
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