ミャンマー紀行(1)旅の準備とバカン考古学博物館など

ミャンマー
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概要:

ヤンゴンに1泊し、バガンへ。
バガンを60階から一望。
日本中古車の日本語の宣伝表示のある乗り合いの交通手段。
お揃いの女性ファッションと美白。
考古学博物館にインド人似或はガンダーラ似の仏陀と現地人似仏陀、躍動感のある壁画。
2020.02.

旅の目的:

中国の旅を計画していましたが、コロナウイルスで計画を変更しました。
インド、中国の仏教遺跡の石窟を巡っていたことから、目に留まったのが壁画があるミャンマーのポーウィン山石窟でした。
フライトは中国航空が安いのですが中国国内を経由すること空港ターミナルには他の中国便もあります。
ANA直行便があり、これに決めました。
ミャンマーの首都ヤンゴンに入り、仏教遺跡のあるバガン、ポーウィン山石窟のあるモンユワ、ミャンマー第二の都市マンダレー、そしてヤンゴンの日程を組みました。
日本語漢字の数字の「一」はミャンマー語では「တစ်ခု」と書きます。なんと複雑なことか。

ヤンゴンへ:

京浜東北線と京成ライナーで成田に向かいます。
京浜東北線鶴見駅に着くと、京浜東北線山手駅で人身事故発生と構内アナウンスが流れます。
早朝6時で人身事故か。
次の構内アナウンスで折り返し運転をするとのことで少し待ちましたが京浜東北線に乗車できました。
搭乗手続きであるチェックイン、荷物預け、出国手続きはすべて自動でした。
マイルの登録は係員にお願いしました。
ヤンゴン行きフライトは定刻に離陸しました。
搭乗率は80~90%くらいでしたが、中央席の通路側で隣は空席でした。

ミャンマー入国:

ミャンマー入国には入国カードは不要でしたが健康チェックシートがあり記入して入国審査時に提出しました。
入国審査は、顔写真を撮られましたが、質問もなく、短時間で終了しました。
翌日の早朝フライトでバカンです。
ホテルは空港近くにしました。
入国審査を終え、2つの仕事があります。まずはATMでの現金入手です。
ATMの操作表示はに日本語もありました。
日本語を選択しました。意味がよく分からない日本語もありましたが、現地、現金を入手しました。
現地通貨15チャットが1円です。
最高額札は10000チャットですが日本円で700円です。
次は携帯のSIM購入です。
事前のネット検索でミャンマーにある3つのSIM会社の選択は決めていました。
空港内のSIMショップも並んでいました。
ノルウェー資本のTelenorに行きます。
5GBを選択しパスポートと携帯を渡します。
店員がSIM交換をして機能するか確認します。
なかなか機能しないようです。
3つのSIMで試しましたが機能しませんでした。
店員は諦め、隣のショップに行けと言います。
隣の店に行き同様にパスポートと携帯を渡します。
すぐに機能確認が終わりました。
この時使用した私の携帯はハーウェーでした。
料金は5GB、500円弱で安いです。
空港インフォセンターでホテルへの行き方を聞きます。
オフィシャルタクシーで行って下さいと言う。
ホテルを説明しましたが場所も確認せずのコメントでした。
空港ロビーを出るとインターナショナルの名前が入った服を着た人が数人いました。
この人たちがタクシーの振り分けをしています。
ホテル名を言うと「10米ドル」と言います。
高い。
歩いても行けそうな距離なのに。
「No」と言います。
すると、500円弱になりました。
公式タクシーが値引きするのか。
それでも高いと思いましたが、まぁ、いいかと思いOKしました。
運ちゃんではない、制服男性が料金、行き先をメモし、運ちゃんと、私が受け取りました。
運ちゃんに再びホテルを説明しました。
2分もかからないうちにホテルに到着しました。
翌日、国際空港の隣のちょっと離れている国内空港までのタクシー料金は140円でした。
この料金は適正だと思いました。  
ホテルはいくつかの平屋建屋もあり私の部屋はその1つで意外と立派でした。

ホテルの近くには想像していたミャンマーらしい屋台がありました。

バガンへ:

朝7時5分発のフライトでバガンに向かいます。
インフォでチェックインカウンターを聞きチェックインしました。
バカンに近いニャンウンウー空港に定刻の8時25分に着きました。
着陸時、何人かは拍手をしていました。
無事についたことの喜びです。
バガンのニャンウンウー空港は小さく、受け取り荷物のベルトコンベアはありません。
係員がロービーの角に搭乗者の荷物を置くのでそれを受け取ります。

荷物を受け取った後、バガンの入域料1700円を支払います。
入場券はURコードがプリントされています。
滞在中、3回の入域券チェックがあり、その内1回はURコードチェックでした。

空港入り口です。

タクシーでホテルに向かいます。
タクシーの呼び込みはあっさりしていてしつこくありません。
タクシーの運ちゃんにホテルまでの料金を聞くと、空港ビル前にある料金表示の看板を指さします。
タクシーに料金メーターはなくその地域までいくらで細かい料金ではありません。
と言っても70円単位(1000チャット)のようです。
料金は500円弱です。
これはヤンゴンでのタクシー料金と同じです。
でも、時間は数10分のはずです。
タクシーは乾燥地帯の雑木林を走ります。

タクシーの運ちゃんは私のスケジュールを聞いてきます。
そして、携帯の観光地の写真を見せます。
そして、名刺を差し出し、良かったら電話してくれと言います。
途中にバガン全体を見ることのできる建物があると言います。
勿論追加料金です。
これはOKしました。

バガンは南エレベスト山脈を水源とする、全長2170kmのミャンマー第一の河川であるエーヤワディー河(イラワジ河)に面しています。
エーヤワディー河はミャンマーの中央を流れ、そこを行く船舶は昔から重要でした。
バガンはミャンマー最初の統一王朝の都で王朝は仏教を厚く庇護しました。
11~12世紀に建設された仏塔の数は3000以上と言われています。

この王朝は中国・元により滅ぼされます。
この戦争がマルコポーロの東方見聞録に記載されています。
ちょっと面白いので記載内容を説明します。
元軍の到来を知った、時の王朝はこれを迎え撃つために2000頭の像と兵隊4万人を準備し、進撃しました。
これを知った、1.2万人の元軍は、大森林を背にした平原で迎え撃った。
像を見た元軍の馬は恐れ、怯え、前に進みません。
像軍団は前進してきます。
その時、元軍は馬と共に森林に逃げ込み、馬の手綱を木に括り付けました。
そして、元軍は象に向かって、雨のような矢を放ちました。
矢によって傷ついた像は暴れだし、森林に逃げ込んだ象に騎乗していた兵隊は振り落とされ、自軍に向かい暴れだす像も多数いました。
この機を見逃さず、元軍は馬に騎乗し、進軍しました。
元軍の勝利でした。
その後、元軍は金で覆われた仏塔を破壊し金を持ち帰ることをカーンに打診しました。
カーンは仏塔が王朝の霊魂の幸福を願い建設されたと知るとそれを保存するように命じたとのこと。
元は神の裁きを受けた者からの貢ぎ物は手にしなかったらしい。
と言うことで、元軍が襲来したが、バガンの仏塔は残ったらしい。
バガン仏教遺跡はカンボジアのアンコールワットなどを含めた世界三大仏教遺跡の1つです。
バガン仏教遺跡は広大な土地に無数の仏塔があるのが特徴です。
エレベーターで高さ60mの展望台に上がります。
展望台は360度の視野です。

少しダストがあり、クリアではありませんでしたが木々の間に多くの仏塔が見えます。

バガンのホテル:

宿泊するホテルはオールドバガンのエーヤワディー河沿いです。

部屋は平屋の建物で、河が見えるオープンテラスにレストランがあります。
時間は未だ午前です。
ホテルチェックイン後フロントに次の目的地モンユワ行きのバス停を確認します。
フロントは電話で確認しました。
すると、バガンからモンユワへはサイゴンを経由しなければならないと言います。
「えっ、そんなはずはない。」
携帯でバスを検索し、検索画面(日本人の投稿)を見せました。
フロントは再び、電話で確認します。
バガン発、モンユワ行きのバスがありました。
バスの発車時間も確認できました。
ホテルの前には、座席付き3輪車のトクトクが駐車していました。

現地人は乗り合いトラックで移動します。
このトラックには日本語の表示があります。
正確に言うと、それ以前に使用していた人(企業)のロゴです。
つまり、これは日本で使用後の中古車がミャンマーにそのままで輸入されたようです。
ほとんどの車が同様の状態ですので日本語はデコレーションと日本車であることの品質保証を兼ねているような気がしました。
「これは品質の良い日本車です。」

現地人と観光客に人気なのがeバイクです。
電気動力のオートバイです。
免許がなくても乗れるらしく観光客も利用していました。
オールドバガンには交通信号はありません。

周辺探索:

地球の歩き方のバガンの地図は道がはっきりと描かれています。
大きな道は路肩を除き舗装されていますがショートカットの道が多くこれは舗装されていません。
ショートカットは当然地図にも載っていません。
オールドバガンはお濠のある城壁に囲まれています。

気温が40℃近くあり、直射日光がとても強く、痛いくらいです。

考古学博物館:

近くに考古学博物館があるはず。
ホテルフロントはホテルの前を右に行けばすぐと言います。
その道と思い行きますがちょっとおかしい。
尋ねると、別に道とのこと。
2、300m歩くとそれらしき建物がありました。

博物館内部の写真撮影は禁止ですが携帯についているカメラの撮影はOKでした。 
ここには多くの仏像が展示されていました。
かなりの仏像の表情はミャンマー人とは思えません。
アジア系と言うよりアーリア系です。
そして、アレクサンダー大王の遠征でギリシア文化と東洋文化が融合したガンダーラを感じます。

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アジア系表情の仏像の顔はかなり異なります。

躍動感あふれる、壁画もありました。

インドで起こった曼荼羅は空海が中国で入手し日本へ伝えました。
日本にも大きく影響し、富士山をモチーフにした曼荼羅は古来から描かれています。
曼荼羅は真理を絵で表現したと言われています。
チベット仏教では重要な仏具となっています。
ミャンマーに曼荼羅に似た絵がありました。

ミャンマーの仏教は日本とはかなり異なる仏教のようですが、所々に共通性を感じます。
ミャンマー女性の髪形が展示されていました。

お揃いのファッション:

博物館を出ると、数人の女性たちがいました。お揃いの服装をしていましたがトレンドのようです。

美白もトレンドのようです。
お坊さんは裸足です。
そして一般市民はサンダルが多いのですが裸足の人もいました。
寺院内は靴下もNGの裸足です。
いつも靴を履いている我々にとって通路表面が荒く痛いと感じる場面も多かったです。

次回は寺院巡りです。

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