概要:
敦煌市内を朝の散歩をしました。
市内は水が豊富ですが砂漠が迫っています。
鳴沙山から見える緑のない砂漠です。
鳴沙山の近くに1000年姿を変えることのない、砂漠の中の泉、月牙泉があります。
今回の旅で印象に残った、「食堂の箸」「ラップされたグラス」「北京空港に向かうバス」
「食堂での支払い」「中国人の外人対応」「戦争テレビ番組」をまとめました。
朝の散歩:
旅行中、朝の散歩が日課です。
朝日が昇る方向に向かいます。
市内は水が豊かですが周囲は砂漠です。
水をたたえた水面の向こうに朝日に照らされた砂漠の丘が見えます。
すごいコントラストでした。

ここには橋はありません。
一定間隔に置かれたブロックがあります。
このブロックを渡り、向こう岸へ横断します。

ここでは太極拳を見かけませんでしたが水際にいくつもの運動具を設置していました。
主にご老人がこの運動具を使い、かなり激しく運動していました。
元気が何よりです。

鳴沙山へ地元バスで:
今日はバスで鳴沙山と月牙泉に行きます。
ホテルのフロントでバスでの行き方を聞きます。
フロントは流ちょうではありませんが英語を話せます。
鳴沙山行きのバスは3番でした。
このまでは良かった。
バス停はと聞くと、そのあたりと言い、ホテル周辺を指さします。
正確なバス停の場所はどこですかと聞くとそのあたりと言います。
フロントのこれらの会話は書類を見ながらの対応でしたのでちょっと腹が立ちました。
このホテルを出て、近くの別のホテルで聞きました。
フロントの女性は英語は話せませんでしたがこちらの意図は通じました。
フロントは携帯の翻訳アプリでそのバスはこのホテルの前の道路を通ると携帯画面を見せます。
昨日のことを思い出しました。
莫高窟行きのバスに途中から乗った乗客はバスに向かって手を上げてバスを止まました。
タクシーを止める要領です。
そのホテルを出て、道路でバスを待っていました。
行き先と「3」と表示しているバスが来ました。
手を上げるとバスドライバーは少し前を指さしました。
そこで乗ってくれと言うサインです。
私が待っていた場所は交差点に近く、バスが停車できなかったようです。
ここでは固定したバス停はなく、乗客は手を上げてバスを止めます。
新しい中型バスです。
乗客は私を含め2人です。
料金は1元です。
60歳近い女性乗客は降車するまでずっとバスドライバーと会話していました。

鳴沙山:
見えてきました。
道路の両脇の木々の向こうに砂漠の丘です。
鳴沙山の周辺は整備されています。
鳴沙山の近くまで砂と接することはありません。

そして門がありました。
この門は後付けのようです。

風が吹くと泣くと言われる鳴沙山(砂山)が見えてきます。
有料の車に乗り、3分で鳴沙山に到着です。

観光用のラクダがいました。

砂山を登ります。
砂山の頂上まで間隔のある板の両側をロープで固定した、つり橋のような梯子が設置されています。
これなしでは足が砂の中に入り、登ることができたとしても大変な労力です。
板が完全に固定されていないので梯子があっても大変でした。
途中、2度ほど休憩しました。


砂山の頂上からは、緑なき見渡す限りの砂漠です。
頂上には日よけ屋根のある休憩所がありました。
屋根だけあって、他に何もありません。


ここに1時間ほど砂漠を眺めていました。
砂を触ると、朝だったせいか少し冷たかった。
月牙泉:
反対側を見ると、そこには月牙泉が見えました。
眼下にひっそりとした寺院とともに1000年その姿を変えなかったと言う月牙泉(池のような)を見ることができます。

下山します。
砂に足を取られますのでバランスを取りながら下山です。
シューズの中は砂だらけです。

池の周りには緑がほとんどありません。
水はあっても砂地。
風が吹けば植物といえども定住は難しいのでしょう。


本堂には金色の先手観音?がありました。

当時のシルクロード商人たちは旅の無事を祈り、出発したのでしょう。
月牙泉の周りを歩きました。


砂の中でも生きようとしている木がありました。

敦煌から北京経由で帰国しました。

中国点描:
今回の中国旅行で気になったことをまとめています。
1.食堂の箸:
これた敦煌のホテルにあった箸マシーンです。
ここから箸を取り出します。
マシーンには消毒と表示されています。
小さな食堂にもありました。

2.ラップされたグラス:
食堂のラップされたグラスと取り皿です。
数10年前の中国では欠けたグラスが出てきました。

3.北京のホテルで:
予約フライト変更のため、北京空港の近くのホテルに泊まりました。

翌朝、ホテルサービスのリムジン(10人乗りバス)で空港に向かいます。
バスに乗ると、乗客の一人がどこに行くのかと英語で聞いてきました。
国際空港と言うとターミナルはどこかと聞いてきます。
ターミナル番号を言うと、バスドライバーに伝えてくれました。
この中国人は「T」を「チー」と発音していました。
バスは他のホテルに泊まり、乗客を乗せます。
空港の中の駐車場に止まります。
バスドライバーは、「ここだ。前の乗客の後を行け」と言った素振りです。
数10年前の子供と旅した中国で出会った親切な中国人を思い出しました。
4.食堂での支払い:
敦煌の席数10程度の小さな食堂です。
冷蔵庫の横に貼ってあるQRコードがあります。
お客さんは携帯でコードを読み取り、1食200円前後の支払いを済ませます。
敦煌は田舎町ですが入った食堂すべてがキャッシュレスできました。2018年。

5.中国人の外人対応:
西寧の食堂、敦煌と北京のホテルで携帯を使ったコミニュケーションがありました。
彼らは携帯に向かって話します。
そして、携帯に英語あるいは外人の母国言語が出てきます。
北京のホテルでは日本語が表示されていました。
これを使えばもっと地元の人たちと接することができます。
6.戦争テレビ番組:
ラサのホテルでテレビを見ました。
太平洋戦争の番組がありました。
音声は日本語、字幕は中国語でした。
話す日本語から出演者は明らかに日本人ではありません。
日本軍の上官と部下の会話は軍人の会話ではなく、悪だくみをする二人の会話です。
部下が上官に毒ガス完成を報告するのですが上官は信じません。
そこで人体実験です。
西寧でも日本軍ととの戦争番組がありました。
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