概要:
ルクソールからフライトでカイロに到着しました。
カイロの宿泊は民泊でした。
ミニバス、地下鉄を使いギザ近くの駅へ行き、見知らぬ人に案内されギザのスフィンクスに到着。
その後、タクシーをチャーターし、エジプト最古のピラミッドのあるサッカーラに行きました。
次の日、エジプト文明の遺品が数多く展示されているエジプト考古学博物館。
その後、旧市街のモスクを訪問しました。
カイロ市内:
カイロの宿泊は民泊にしました。カイロ市内にはたくさんの民泊があります。
移動を考え、空港と中心地の中間で、地下鉄の駅に歩いて行けるところにしたつもりでした。
現地に着き、地下鉄駅まで歩きましたが20分以上かかりました。
現在、地下鉄の延長工事をしていて、これが完成すると、その駅は民泊から歩いて数分です。
ネットで地下鉄駅を調べましたが、工事中の駅と既に開業している駅の見分けができませんでした。
ここはカイロの新市街で古いビルが林立していますが、ここを旧市街と言われても、納得してしまいます。
民泊は大通りから、入ったところにありました。大通りにはバスが走っています。
ルクソールの民泊は良かったのですが、カイロの民泊は「そうか」と言う感じです。
アパートの1室です。建物に入る、大きな扉があります。この扉の鍵も渡されました。
エレベーターはいつ故障しても不思議のない古さです。
部屋は、リビング、寝室、キッチンがあり、広いのですが、外の見える窓はなく、ベッドも古い。
サイトのオーナーの写真はビジネスマンのようでしたが、実際は、60歳くらいのまさにアラブ人男性でした。
最初にオーナーから部屋の説明を聞き、こちらから、カイロ周辺観光地への交通手段、近くの商店などを聞きました。
周辺観光は地下鉄を利用することにしました。
いざ、ギザのスフィンクスへ:
今日は、ギザのスフィンクスとピラミッド。時間があれば、サッカーラまで足をのばす予定。
交通手段はバスと地下鉄。
朝8時、民泊を出発しました。カイロの朝は活気をあまり感じませんでした。
簡易食堂がありましたが、大勢の人が朝食をとる姿はありませんでした。
メイン道路まで歩き、バスを待ちます。バスは乗客10人程度の小型バスです。
バスの乗り方は、手を上げてバスを止め、行き先を告げます。
ようやくバスが来ました。白い車です。
「メトロステーション」と言うが運ちゃんには通じません。
乗客の一人が通訳してくれました。良かった。このバスは地下鉄駅方面に向かうバスでした。
空席は後方にあり、そこに座りました。すると隣の客が、料金は3ポンド(18円)と言います。
その客に5ポンド紙幣を見せると、その客は、私の5ポンド紙幣を前の客に渡しました。
この客も前の客に5ポンド紙幣を渡しました。
こうして、リレーで5ポンド紙幣は運ちゃんに渡りました。
運ちゃんはお釣りの2ポンドを後ろの客に渡します。リレーで2ポンドが私に渡りました。
地下鉄駅付近で、バスは止まりました。運ちゃんではなく、乗客が地下鉄駅を教えてくれました。
地下鉄駅の入り口は黒扉です。地下に通じる扉と言う感じです。
切符を買うのも大変です。
列を作っているものの、横入りする者が多く、彼らは手に金を持ち、窓口に差し出します。
これが優先するのです。
乗る車両は男女別々です。その理由は、日本と異なり、宗教上の理由と思います。
地下鉄と言っても、本当に地下なのは一部だけです。
そして、エアコンがありません。窓を開けて、風を通します。
乗客は降りる駅が近付くと、前の人に一言言って、ドアの近くに行きます。
日本の様に、電車が止まってから移動はしません。その理由が分かりました。帰りの地下鉄でした。
駅に電車が止まり、電車を降りようとしました。たくさんの降車客の後ろになりました。
もう少しで、降りようとする時、電車を待っていた乗客が一斉に乗ってきました。
その圧力はすごかった。
前に進むどころか、電車の中に押し戻されそうになります。
その時、誰かが私の背中を強く押してくれました。
やっとの思いで、電車から降りることができました。
もう一つの地下鉄での出来事です。自動改札が故障し、人混みになり、係員が整理していました。
数人の若者はフェンスを越えます。日本ではありえない行動です。
地下鉄駅付近の時計です。
文字盤の字が日本で言う、アラビア数字ではなく、アラビア語の数字です。読めません。
スフィンクスの最寄りの地下鉄駅で降りました。バスは駅前の道路を渡ったところにあるらしい。
ここから詐欺まがい?に会うお話です。
地下鉄駅の改札を出ました。どっちにいたら、よいのか、きょろきょろしていました。
すると、30歳くらいの青年が話しかけてきました。どこに行くのか尋ねてきました。
スフィンクスはいくつかの料金所があるので、地元の人と一緒に行くとよい。
そうしたら、余計な金を払わなくて済む。私は用事があるので今日は行けないが。
その男性が去ろうとしたとき、小学生男子連れのジーンズの50歳くらいの男性が近付いてきました。
ジーンズ姿はエジプトでは珍しい。ちょっとリッチと言いたいのでしょうか。
その男性はこれからスフィンクスに行く、一緒に行きませんか、と言う。
今考えれば、50歳男性が現れたのは、絶妙のタイミングでした。
そして、この男性もスフィンクスの料金所はいくつかあるが、余計なお金を払わなくて済む、入場する方法を知っている。
バス乗り場は向こうにある、行きましょう。
信号がなく、高スピードの車が走り、交通量も多い、道路を渡ります。
50歳男性は、私をかばうようにします。
50歳男性は、指で三角形を作り、来るミニバスに示します。
三角形はピラミッド行きのバスを待っているサインです。バスに乗車しました。
50歳男性は、スフィンクスには何回も行っているが、子供は初めてと説明します。
数珠を取り出しました。
イスラム教にも数珠があり、これを1つ、1つ送ると、幸福が来ると言います。
これをやらされました。
途中でバスを降りジュース屋さんに立ち寄ります。そして、ジュースの一気飲みです。
暑さ対策でしょう。 バスの中で、50歳男が携帯で、子供と一緒の写真を撮りたいと言います。
私と子供の写真を50歳男が撮りました。
ではと、言うことで、私も50歳男の写真を携帯で撮りました。
再び、バスに乗り、スフィンクスの近くで降車しました。
そして、小さな旅行社に案内されました。男性店員が出てきました。
馬にするのか、馬車にするのか聞いてきました。50歳男性は馬を選び、私は馬車を選びました。
IDが必要とのことで、私はパスポートを、50歳男性はIDを男性店員に渡しました。
そして、私は馬車に、50歳男性と子供は馬に乗りました。
ここで料金の請求がありました。
150と言うので、150ポンド(900円)を支払おうとすると、150米ドル(17000円)と言います。
「えっ」
50歳男性は、札束をポケットから出して、支払います。
イメージ料金額と全然違いますが支払いました。
馬車は運ちゃんとガイド付きです。
そして、出発しました。50歳男性と子供は馬に乗ったまま出発しません。
ここで、完全にはめられたと思いました。
馬車は専用の出入り口からの入場です。
やはり、馬に乗った親子?は付いてきません。
入場切符はガイドが購入しました。
入場切符を買う、長い列ができていましたが、あっという間の購入です。
中に入ると、ガイドが説明しますが、何の感動もありません。
多くの観光客はいますが、乗り物に乗って観光している人は誰もいません。
歩いて観光したほうが良いと思いました。
馬車から降りで、ピラミッドの前でガイドが説明をしている時、一人で行くから、と告げました。
ガイドはパノラマビューがあると言いましが、こちらは聞く耳を持ちません。
ガイドは少し待ってくれと言います。
そして、事務所に携帯で電話です。電話に出て欲しいと言うのででました。
観光はどうかと聞くので、がっかりだと言って電話を切りました。
後で思い出すと、このガイドの顔、途中まで一緒の50歳男によく似ています。
二人は兄弟か、親類のように思えました。
気を取り直して、観光です。
やはり、ピラミッド、スフィンクスは巨大で、圧倒します。
このピラミッドに登る地元?観光客がいました。
王家の谷では王様の墓は地下に外からは小さな入り口が見えるだけでしたが、ピラミッドは天高くそびえます。
長いエジプト文明の変遷を感じます。
エジプトの子供たちは写真が好きです。
すぐに大勢の子供たちが集まってきます。
出入り口近くに、看板がありました。
それは、馬車の絵と料金表示でした。その料金は600円程度でした。
スフィンクスを出ると、喫茶店がありました。オープンカフェではありません。
建物の中に席がありますが、開放感のある大きな入り口からは中が見えます。
日をよけて、お茶を飲むところです。
中に入り、席を見渡していると、お茶を飲んでいた40歳くらいのエジプト人が、隣のテーブルの席に座れとのしぐさです。
その席に座りお茶(紅茶)を注文しました。
40歳エジプト人は話しかけてきました。
そこで、私が今しがた、詐欺まがいのとても高額な馬車に乗ったと話しました。
40歳男のコメントは、「我々は観光収入で生きているんだ」と強調します。
そして、その強調の同意を近くの若者に求め、若者は同意しました。
サッカーラ:
40歳男に、サッカーラ(ピラミッドがあります)に行くバスはどこから出ているのか聞きました。
そこに行くバスはない。タクシーならいけると言います。料金を聞くと、往復で1800円と言います。 それならと、タクシーはどこで拾えばよいのか聞くと、これを聞いていた老人が席を立ち、タクシーの運ちゃんを連れてきました。
なんと、サービスの良いこと。
エジプトの田舎道を走り、サッカーラに向かいます。
サッカーラにエジプト文明最初のピラミッドがあります。
ここの入り口には、カルナック神殿のような、規模は小さいのですが、たくさんの石柱があります。
石柱群を通り抜けると、広大な砂地に、最初のピラミッドである、高さ62mの階段ピラミッドがあります。その後に建設された、有名なギザのピラミッドの一気のてっぺんとは異なります。
ギザのピラミッドとは異なり、観光客は数人でした。
ここから、高さ139mのギザのピラミッドをかなたに見ることができます。
カイロ市内のビル群もはるかかなたです。
タクシーの運ちゃんは60歳前後で、英語を話せます。
スフィンクスの高額馬車の話をすると、金をどうやって取り返すのか、聞いてきました。
「ギブアップだよ」
その馬車はその料金だと言われれば、それまでだから、と答えました。
田舎の帰り道、運ちゃんは屋台のような店舗のパン屋さんの前に車を止め、夕食用のパンを買いました。ドライブスルーです。ここの常連らしく、何か話をしていました。
パン屋さんは、エジプト人ではなく、隣国からの出稼ぎと言っていました。
このタクシーでスフィンクス近くの地下鉄駅まで戻りました。
翌日はカイロから日本に戻る日です。
民泊近くに、日本で言ったらコンビニのような、地元ではちょっと高級な商店がありました。
ここでお土産を買います。商店に入ると、まず、携帯していたリュックを預けます。
万引き防止のようです。
エジプト製のチョコレートを探します。
チョコレートは見つかりましたが、どれがエジプト製かよくわかりません。
店員に聞いても分かりません。
お客さんが通訳をしてくれました。
夕食:
夕食は民泊近くのレストランでした。
エジプト考古学博物館:
今日は旅行最終日です。明朝零時45分のカイロ発のフライトで、ドバイ経由羽田です。
今日の観光は、エジプト考古学博物館と旧市街見学です。
地下鉄に乗り、博物館近くの地下鉄駅に行きます。改札口を出ます。
博物館はどちらの方向だろう。
近くにいた、ヒジャブの若い女性に博物館を尋ねました。地下鉄駅の目の前でした。
この女性は博物館に勤務していて、出勤途中でした。
博物館入り口まで、案内をしてもらいました。
入場券と、館内で写真を撮ることのできる写真券を買いました。
大きな石像もあり、ガラス越しではないものもたくさんありました。すごい迫力です。
高貴なエジプト人から庶民、動物まで色々な像があります。
これらの遺物の絵を描く子供たちがいました。
カイロ旧市街のモスク:
博物館を後に、旧市街に向かいます。旧市街は博物館から、地下鉄ですぐのところにあります。
9世紀に建設された、カイロ最古のイブントゥールンモスクに向かいます。
近くの地下鉄駅で降り、駅の係員に道を聞きます。
するとその係員は大声を出します。その先には別の係員が改札をしていました。
改札をしている係員のところに、最初の係員と共に行きます。
最初の係員は改札をしている係員に、私を優先するようなしぐさをします。
改札の係員は、階段を降りてタクシーで行けると言います。
私がバスで行きたいと言うと、近くにいた青年が一緒に行きましょうと言います。
昨日の詐欺まがいのことがあったので、引き気味でした。
でも、青年と一緒にミニバスに乗りました。
青年がバス料金(15円)を払うと言うので、きっぱりと断り、自分で支払いました。
なぜ、青年が私の料金を支払おうとするのか、理由が分かりませんでした。
モスクの近くに来ると、青年は道順を説明します。モスクまで200m程です。
そして、青年は道案内をすると言いだしました。
丁寧にお断りをしました。
そして、私はバスを降り、青年と別れました。この青年、本当にいい人でした。
遠くに見える尖塔が目指すモスクです。
モスクは城壁に囲まれていました。
城壁に差し掛かると、モスクの入り口が見えました。小さい入り口です。
その前に商店があり、ここが私の目指すモスクか聞くと、全く言葉が通じません。
手にしていたのは英語の地図で、これも役立ちません。
中に入りました。係員がいて、入場料を取ります。
靴を脱ぎ、中に入ります。
規模も小さく、有名なモスクではないようです。
小さな中庭から、尖塔が見えるのですが、違う尖塔のようです。
尖塔に登ると、周囲を一望できると、係員が言います。料金が必要です。
モスクを出ました。
城壁沿いに歩くと、大きな門がありました。これが目指す、モスクの門です。
料金を払い、中に入ります。ここでは靴は脱ぎませんでした。
その代わりに、袋を2つもらい、この袋に靴を履いたまま足を入れます。これもお金を取ります。
中央に広場があり、これを囲む回廊があります。典型的なイスラム寺院です。
その古さは伝わってきます。
観光客は10人もいませんでした。
帰りがけ、靴袋を返しに行くと、ペンを持っていないかと、聞いてきます。子供のためとか。
旧市街:
モスクを出ると、周囲はまさに旧市街です。
尖塔があちらこちらに見える、古い町並み、露店売りのマーケット。
子供たちは写真をせがみます。
地下鉄の駅に向かって歩いているハズとgoogle/mapを見ます。
地下鉄駅の記号である「M」に、確かに向かっています。
民泊近くの、地下鉄駅で降りました。
まだ、少しの時間があったので、近くのオープンカフェで雰囲気を楽しみながら、休憩しました。
民泊オーナーの住居は同じ階の別の部屋です。オーナーに部屋の鍵を返しました。
オーナーは、空港まではタクシーを利用するとよいが、タクシーに行き先をどのように言うのか尋ねてきました。
私が「International Airport」と言うと、それは通じないかもしれない。
アラブ語で空港を意味する、「Matar:マタール」と言ったほうがよいと、言います。
紙片に「Matar」とメモしてもらいました。
6階の部屋から、荷物を引きずり、道路に出ます。
タクシーはすぐ捕まりました。
30歳過ぎの若い運ちゃんに、「International Airport」言いますが、通じません。
「マタール」と言い、メモを見せました。通じました。民泊オーナーの言う通りでした。
でも、エジプトの首都、カイロのタクシーに「International Airport」が通じないとは。
多くの観光客が訪れるのに。
運転席の隣に座ります。
運ちゃんは、何かを言いますが、アラブ語で全く分かりません。
そして、私にタバコを差し出します。
私はタバコを吸わないので、お断りしました。
その礼ではありませんがキャンディを数個、運ちゃんに差し出しました。
運ちゃんは携帯をかけます。その内容に数字が出てきたようなので料金の確認と思います。
見ると、タクシーには料金メーターがありません。
観光地ではタクシーに乗車する前に料金を確認していますが今回はそれをせずに乗ってしまいました。
運ちゃんは、途中、2回、通行人に道を聞きました。運ちゃんにとって、初めての行き先のようです。
空港近くで、このタクシーに向かい手を上げている男性がいました。運ちゃんは車を止めました。
短い会話後、その男性を乗せました。タクシーは発車し、1Kmもたたずに、車を止めます。
男性はタクシーを降りました。料金は取りません。
空港に着き、運ちゃんは料金を言います。200ポンド(1200円)。高いと言いました。
空港から民泊までのタクシーはこれより立派なのに、150ポンドだったと言います。
言葉が通じないので、交渉もできません。
運ちゃんも、こちらの言っていることは分かっていると思いますが、譲りません。
ここは引き下がり、言い値を支払いました。
タクシーを降りて、行こうとすると、空港の係員が、空港の入車料金10ポンドを払えと言います。
私は係員に、運ちゃんに高額料金を支払ったので、運ちゃんから取ってくれと言いました。
運ちゃんはしぶしぶ支払いました。
運ちゃんと握手し、分かれました。
握手した運ちゃんの手は汗ばんでいました。
そうか、運ちゃん、緊張していたんだね。
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